武田百合子著『あの頃』から

 今年の夏の読書に単行本未収録エッセイ集の武田百合子著『あの頃』を読んだ。
 『あの頃』に収録されている「無口な人ーー原民喜さんの思い出」は、昭和二十三、四年頃の原民喜について書いている。

 《その頃(昭和二十三、四年頃)の私は、神田神保町の酒場で働き、店の二階に寝起きして、三食を外食券食堂で食べていた。神保町の能楽書林、丸岡明さんの家に下宿している原さんは、御近所の人なのだ。晩になると、丸岡さんが店にやってきて「今朝、泰淳さんと朝御飯食べてたんだって? 原さんがつんのめりそうな勢で帰ってきて報告しましたよ。あっちこっちに、いそいそと電話もかけてたよ」言った。  
 原さんが店にくるときは、いつも誰かと一緒だった。極度に無口な原さんは、連れの誰からもかわばれて、かわばれたまま、静かにきょとんと、お酒を飲んでいた。  104ページ》

 「今朝、泰淳さんと朝御飯食べてたんだって?」と丸岡明が原民喜から聞いて神田神保町の酒場の百合子さんに確かめに来たエピソードに注目しました。
 昭和二十三、四年頃の東京の食事情が語られています。
 武田泰淳の「もの食う女」という小説の生まれるころの回想記としても興味深いエピソードであります。
 原民喜は当時、神保町の能楽書林の丸岡明の家に下宿していたようですね。