五木寛之を読む

 快晴で爽やかな風が吹く。最高気温25℃。クルミ(胡桃)の実が大きくなって枝のあちこちに眺められた。クルミの実は小さなレモンのような形をしている。

 《初夏の切れ味の良い陽射しが降りそそいでいた。》(五木寛之著「蒼ざめた馬を見よ」より引用)

オニグルミの果実。また、クルミクルミ属の落葉高木のオニグルミ・テウチグルミなどの総称。果実は丸く、肉質の外果皮と堅い内果皮に包まれた子葉部分を食用にする。  大辞泉

 五木寛之著『心が挫(くじ)けそうになった日に』(新潮文庫)は高校生と行われた対話が2つ、早稲田大学で行われた対話が1つ収められている。平成三十年七月新潮社より刊行された、『七〇歳年下の君たちへ 心が挫けそうになった日に』を改題している。

 《自分のルーツと力ずくで切り離され、あるいは自分のふるさとから追放されて、ただただ異国を放浪する。それはまさに現代を生きる人間の姿じゃないか。僕は「デラシネ」という言葉を、簡単に言えば「難民」と解釈して、小説『デラシネの旗』を書いたのです。

 現在ならデラシネを「難民」と訳してもいいでしょう。五月革命から半世紀が経(た)ったけれど、今まさにデラシネの時代ですよね。生まれ育った国土と深いつながりを持ちながら、土地を奪われ、土地を追われ、強制的に移住させられる人々。かつてスターリンの政策のもとでバルト三国ウクライナコーカサス地方などから無数の人びとがシベリアや中央アジアへ送られました。今なおクリミア、ウクライナのあたりはきな臭いでしょう? また、シリアからの難民はヨーロッパ中で問題になっていますよね。世界各地のありとあらゆるところで、力づくの人間の移動が行われ、根こぎにされた人びとがたくさん生まれています。この何十年もの間、フランスのアルメニア系移民の子であり、現代最高のシャンソン歌手でもあるシャルル・アズナブールはじめ、いろんな歌手が難民たちの悲痛な思いを歌に託して歌ってきました。今ようやくその問題が世界的に顕在化してきたな、という気がしています。

 難民とはつまりデラシネであり、今はデラシネの時代、二十一世紀はデラシネの世紀だという実感が僕にはあるんです。》 20~21ページ