『空旅・船旅・汽車の旅』

 12月の新刊で、阿川弘之著『空旅・船旅・汽車の旅』(中公文庫)が出ている。
 解説が関川夏央氏である。
 本の紹介記事に、《文庫化にあたって、悪路の東北を自動車で一周した「一級国道を往く」の後日談、「二十二年目の東北道」も収録。》とある。
 そうすると、「一級国道を往く」というのは、後日談「二十二年目の東北道」も収録とあるので、阿川弘之著『贋車掌の記』(六興出版)に収録されている「東北国道二千キロ」のことではないだろうか。
 これは、敗戦後十三年、日本の道路事情が悪路であることについて、東京から東北の一級国道をぐるりとまわる実験旅行で七日目に東京へ戻った。
 帰りに通るはずだった新潟から越後湯沢、後閑を通って前橋、高崎と、国道17号線で東京へ帰るはずだが、途中の三国峠が国道開設以来不通なので、新潟より直江津を経て長野へ出て、軽井沢を通って碓氷峠を下り東京へトヨペット・クラウンで帰った。
 七日間で悪路でパンクが二度あった。
 どうして道路だけが、鉄道と較べてこんな未発達状態に残されたのか?
 この疑問についての色々の説が紹介されている。
 第一の説は日本の陸軍は海外派兵にばかり熱心で国内の道路のことに関心が薄かった。(ドイツのナチスの軍用道路と較べて)
 第二の説は歴代政府の国鉄保護政策。(大正初年鉄道院総裁をつとめた後藤新平) 
 第三の説は、その結果、鉄道が鉄道省という一省を設けて運営管理されて来た。戦前、日本の道路行政は内務省土木局の一部に委ねられたままだった。