新刊案内から

 今年は例年とくらべて梅雨入りが早かった。今は梅雨の中休みというところ。紫陽花(アジサイ)の花が見頃になった。

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 『ちくま』6月号の新刊案内を見ると、今月の新刊に安田武著『戦争体験』が、ちくま学芸文庫にて14日発売とあった。中公文庫の安田武の『昭和 東京 私史』を思い出した。
 そういえば、安田武多田道太郎との共著、『「いき」の構造』を読む、という本がある。九鬼周造の名著を二人が読む。

 
 参照:https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480096708/

 

 

 

 

 

飛ぶ教室「翻訳の極意」


 夜、NHKラジオの番組で、夜開く学校「高橋源一郎飛ぶ教室」を聴く。
 82歳のおばあちゃんの高野文子の「田辺のつる」の話から番組ははじまる。
 前半の「ヒミツの本棚」は、カズオ・イシグロの最新作『クララとお日さま』が採り上げられて紹介される。長篇小説の全体を端折り、朗読される。クララっていいね、というような感想をもつような作品ですね。
 後半の「きょうのセンセイ」は、翻訳家の柴田元幸さんがゲストで出演する。年三回発行の柴田元幸責任編集の雑誌「MONKEY」について高橋さんが柴田さんへ質問をする。カズオ・イシグロの作品について、柴田元幸さんの見立ても面白かった。クララはフランケンシュタインへつながる、と。新作も過去の作品の『日の名残り』に通じる(ものがある)。

 参照:

https://www.nhk.or.jp/radio/player/ondemand.html?p=6324_01_3518697

 

 

『波』六月号の書評から

 新潮社のPR誌『波』六月号を頂いた。
 表紙に、坪内祐三さんの三輪車に乗った写真と筆跡とが掲載されている。
 トマス・ピンチョンの『ブリーディング・エッジ』刊行記念特集の池澤夏樹矢部太郎の両氏の寄稿を読む。

 「世界はゲームだぜ」(池澤夏樹
 「複雑な物語、8K的描写、長い!・・・・・・けど面白い!」(矢部太郎

 池澤夏樹氏の書評から一部引用すると、

 主軸はマキシーンとアイスの闘いと見えるけれど、それは話を駆動する仕掛けでしかない。ピンチョンはIT技術に絡め取られた社会相のぜんぶを書こうとしている。長い手を広げ、ごっそり集めてこの話の中にがらがらと放り込む。細部が際立って全体像がぼやける。やっぱりコミックだ。  20ページ

 もう一つ他の書評で、ヤマザキマリ氏の「過去が縦糸横糸となって織り込まれていく」というタイトルの書評は、佐久間文子著『ツボちゃんの話 夫・坪内祐三』について書かれている。
 一部引用すると、 

 数年後、日本へ戻った私は北海道の大学2校でイタリア語の講師をするようになったが、そのひとつがイタリアの言語学者から紹介された文化人類学者である山口昌男氏が当時学長を務めていた札幌大学だった。本書で坪内夫妻も山口氏と親交があったことを知り、しかも私が在籍していた頃に札幌の山口氏を訪れていたという。こんな具合に、自分の過去と坪内夫妻の過去が縦糸横糸となって織り込まれていくような感覚が、文章を読んでいる間ずっと止まなかった。生きている坪内さんにはもう会うことができないが、胸の中の饒舌を包み込んだような、思慮深げな彼の表情が、頭の中に映し出されたまま消えなかった。  11ページ

 参照: 佐久間文子 『ツボちゃんの話―夫・坪内祐三―』 | 新潮社 (shinchosha.co.jp)

 

 

 

 

中学生わかし蛾族を花とみぬ

 夏日がつづき、曇り空で蒸し暑い。最高気温27℃。
 散歩の途中に道端にクローバーの白い花が一面に広がっていた。

 花と花の間を蜜蜂が飛び回っていた。近くに寄って眺める。人が近くにいてもほとんど反応せずそのまま蜜を探して飛び回っているのだった。蜜蜂はおとなしいですね。 

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 石田波郷の俳句に昆虫の展覧会を詠んだ句がある。
 昭和九年(1934年)に、「昆虫展覧会 八句」という前書きで、 

 「昆虫展並樹の青のかげ来ずや
 「うすばかげろふ並樹の青にあらざりき
 「中学生わかし蛾族を花とみぬ
 「花咲く蛾大きはなびら触れ合へり
 「兜虫漆黒なり吾汗ばめる
 「昆虫類あまねくみたり指をみる
 「昆虫界階段の口白く明りぬ
 「図譜買へば昆虫界に銭の音

 

 「中学生わかし蛾族を花とみぬ」は蛾を花びらに見立てた中学生を展覧会場で波郷が目にした光景だろうか。
 「図譜買へば昆虫界に銭の音」は波郷自身が展覧会の図譜(カタログ)を受け付けで購入したか、人々が我も我もと図譜を買う様子を詠んだものか。

メトロポリタン美術館みんなのうた

 日曜日の朝のNHKのラジオ番組の「サンデーエッセー」を聴く。
 「サンデーエッセーSP『みんなのうた』いつまでも」
 大貫妙子さんの出演で、「みんなのうた」で放送された「メトロポリタン美術館」の曲の歌詞がどのようにできたか、大貫妙子さんが語る。ナポリタン、メトロポリタンと言葉の音のアナロジーから歌詞がつくられた。
 

 絵の中に閉じ込められちゃうのが怖い、子どもは。
 今聴いても不思議な曲にしあがっている。
 なぜこういうものができたか自分でもわからないんです。
 聴く方が出会った曲が自分のなかで結びついているんですね。
音楽も出会い。
 売れようとかということはなくて、年代でそのときそのときでつくっているだけで・・・。

 

 「メトロポリタン美術館」を聴く。

 

https://www.uta-net.com/movie/52797/

PR誌から


 映画『ヒトラーに盗られたうさぎ』を観たあとに読んだ新潮社のPR誌『波』5月号の特別エッセイ「あの日、ヒトラーを見た私」(安西篤子)からもう少し引用してみる。

 安西さんがヒトラーがドイツで台頭した頃にベルリンのアムパーク十五番地のマンションに住んでいた時の話です。

 《向かいのマンションには、当時、人気の映画スター、マルレーネ・ディートリッヒが住んでおり、ときどき見かけた。
 私どものマンションの持ち主は、ユダヤ人で、ナチスが勢いを得てきたため、危険を感じ、市外のワンゼー(湖)のほとりの別荘に移り、あとを家具つきで、私どもに貸したという。(中略)
 日本へ帰ってからも、両親はときどき、大家さんのことを思い出して、話していた。ひどい目に遭っていないだろうか、アメリカへでも逃げていればいいが、と云っていた。》*1

 池内紀著『ヒトラーの時代』を読むと、ドイツ文学者として避けて通れなかった課題を池内紀さんが書いている。
 

 参照:『ヒトラーの時代』に込められたもの(川本三郎

https://www.shinchosha.co.jp/nami/tachiyomi/20190927_2.html

 

 

 

「あの日、ヒトラーを見た私」と映画のこと

 新潮社のPR誌『波』五月号のエッセイ、「あの日、ヒトラーを見た私」ーー佐江衆一『野望の屍』に寄せて(安西篤子)に注目しました。
 九十三歳になる筆者がベルリンで六歳の時に見た目撃談を語っています。
 《ヒトラーの勢力が増してきたある日、父は六歳の私を連れて、ヒトラーの邸の前に行った。その日は、ヒトラーの誕生日だった。邸の二階のバルコニーに、ヒトラーが姿を現すと、バルコニーの下に集まった群衆が何事か叫んで手を振る。それに対して、ヒトラーが手を振り返す。たいそうなさわぎだった。
 私の見たところ、群衆の大半は、十七、八歳から二十代前半の、若い女性だった。金髪で色白、ふくよかな女の子たちで、美しいというより、素朴で無邪気といった印象だった。
 なぜ父は、そんなところへ私を連れて行ったのだろうか。
 銀行勤めの父のもとには、新しいニュースがどんどん入る。ヒトラーの台頭によって、第一次大戦の疲弊したドイツに、なにか変化が起こる、そう感じて、当のヒトラーがどんな男なのか、自分の眼で見たかったのではないか。男一人より幼い女の子を連れていれば無難に見える。ついでに私に、歴史に残る人物を見せてやろう、そんなところか。》

 1927年(昭和2年)八月生まれの安西篤子さんの六歳の頃に見たヒトラーの印象です。

 カロリーヌ・リンク監督の『ヒトラーに盗られたうさぎ』という映画のことを思い出しました。

 これはジュディス・カーの『ヒトラーにぬすまれたももいろうさぎ』という自伝的作品を映画化したものです。
 1933年2月、ユダヤ人で新聞やラジオでヒトラーへの批判をしていた父が次の選挙でヒトラーが勝ったら反対する者への粛清が始まるという(警察内部の者からだったと思うが)情報を得て、9歳の少女アンナの家族はベルリンからヒトラーから逃れるためにスイス、フランス、そしてイギリスへの亡命生活を描いています。
 スイスのチューリッヒ、牧歌的な山村の学校生活、フランスのパリで、そしてイギリスのロンドンへと海を越えて亡命します。

 

野望の屍

野望の屍

  • 作者:佐江 衆一
  • 発売日: 2021/01/27
  • メディア: 単行本
 

 映画『ヒトラーに盗られたうさぎ』予告編 - YouTube