「田中小実昌さんと行く三陸」はシアトルが出発点であった

百日草

 百日草の苗を二株、買う。それぞれピンクと黄色の大きな花を咲かせている苗だ。毎年、百日草を植えて花を楽しむ。長く咲き続けるので百日草と名づけられたのかな。
 『コヨーテ読書』(青土社)のなかで菅啓次郎さんが「旅するコーヒー」という文で「湖と海のあいだのこの北の都会、二人の英雄ジミ・ヘンドリクスブルース・リーが葬られているこの街にぼくは暮らしはじめ、スターバックスが代表するグルメ・コーヒーの波に、日常的にさらされた。それはまたアメリカという経済体の全体が、第二次大戦以来の「コーヒー水」大量消費の伝統に、別れを告げようとしている時期でもあった。」(266頁)と述べたシアトルという街に、田中小実昌さんも旅人として訪れている。
 勝谷誠彦の『いつか旅するひとへ』、1998年刊(潮出版社)の「酒場を漂いみちのくへ」という文で、田中小実昌さんと共に旅をした折のシアトルを巡っての話がいい。

 視線を外にむけたまま、田中さんのモノローグは、突然はじまる。話題は、時間と空間を突き抜け、縦横に飛翔するので、まったく油断がならない。今回は、シアトルが出発点であった。栃木あたりを走りながら、いきなりシアトルの話題である。本当に、油断がならない。  204頁

 小説家の女房の話、戦争中に湖南省で歩哨をやっていたときの見聞。なかでも、牡鹿半島の突端、鮎川の居酒屋のカウンターを挟んで、80歳には見えるおばあちゃんと田中小実昌さんの二人が、シアトルやバンクーバー、ビクトリアを問わず語りに語るところは、「さすがの田中さんも、一瞬目が点になる。」 

 「クジラなら、シアトルって街があってね、あたしもここんとこよく行っているんだが」
 話しはじめた田中さんへの、おばあさんの反応は意外だった。
 「私もねシアトルは行ったんです」  212頁