コミさんのバス旅から

 田中小実昌著『コミさんほのぼの路線バスの旅』で、コミさんこと田中小実昌さんは東京からフツーのバスをのりついで、お江戸日本橋をふりだしに、東海道を京の三条大橋までたどり着いた。

 《お江戸日本橋をふりだしに、この京の三条で東海道はあがりとなる。
 東京からフツーのバスをのりついで、やっとここまできた。途中ひきかえしたり、とんでもないまわり道をしたり、滋賀県彦根まできながら、どうにもならず、あきらめて中断していたが、西へいくバスのことは、いつも頭のなかにあった。それがこうして、京都の三条大橋までたどりついた。十年たっていた。》 「京都三条は終着点 出発点」 97ページ

 「山陽道中バス栗毛」から注目の箇所を一部引用してみよう。イラストは古川タク。装幀は梶木一郎。初出誌は雑誌「旅」。

 《ぼくは二ホンでもたいへんにヒマな男のひとりだが、それでも、たとえば映画の試写を見るときは東京にいなくちゃいけない。そんなことで、バスにのっては二日か三日かほどふらふらし、そのあと東京にかえる。
 そして、また東京からでてきてバスにのるのをくりかえしてきた。
 わらわないでいただきたいが、さいしょにバスにのったのはもう二十年もまえのことだ。それも、べつに東京から西へ西へとバスでいこうなんて考えてもいなかった。》  116ページ

 《やっとこさ西条についた。酒都西条という大きな看板がたっている。西条駅近くの「こつぼ」でカレイの唐揚げをたべ、地元の酒の福美人を飲む。尾道は言葉のおわりにナアがつくが、こちらノウ、と店の主人が言う。ぼくもノウの広島弁でそだった。小津安二郎監督の名作「東京物語」の笠智衆東山千栄子の老夫婦は尾道に住んでおり、「・・・・・・ですなあ」なんてやっていたのをおもいだす。(中略)
 翌朝、西条から広島にでるバスが、また時間のつごうがわるく、呉行のバスにのる。黒瀬、郷原はもう呉市のうち、広へとかなり山をくだる。阿賀、呉駅。この日は呉から広島にでて、宮島口にいき、フェリーで宮島にもわたり、ぼくのほかはかき丼をたべた。「冬陽ぬくく尾根にいずれば四国見ゆ」呉第一中学校のときの担任の先生の句で、ぼくの家などがある山の尾根までのぼったら、瀬戸内海をへだてて、四国の山が見えたってことらしい。》 「ふるさとの山はかわってた」 126~127ページ