多田道太郎の『自分学』と『思想の科学』

 多田道太郎の『自分学』1979年(朝日出版社)を読む。〈なまいきな「視覚」〉という章で、〈宗教行事も「視覚」にはかなわない〉のところに、

 わたしは、昭和二十八年ごろ、東京の泉岳寺にかよっていた。その近くに、当時、『思想の科学』の編集室があって、わたしは編集の手伝いをしていた。附近は静かなものでした。ところが、そのあとでTV放送がはじまり、「赤穂浪士」が流行して、観光客が大勢、泉岳寺につめかけてきた。そのため、東京の人まで、休日というと泉岳寺に行くようになった。急に時代が変わったのです。
 そんな時代でした。伊勢志摩の行事もそれ以前は、知る人がいなかった。ところが、「ライフ」に載った一枚の写真のおかげで、翌昭和三十二年から大衆がその行事を見に伊勢志摩にどんどんつめかけた。  90頁

 ふーむ。この多田道太郎の『自分学』を読んでいると、いろいろ面白いエピソードの発見がある。*1

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