「谷崎潤一郎 引っ越しクロニクル」から


 7日、快晴で空気が乾燥している。最高気温17℃、最低気温7℃。
 二十四節気のひとつ大雪である。 
 8日、川面(かわも)に渡り鳥が見られた。
 ヒドリガモの小さな群れである。
 陽射しを浴びてゆっくりと移動していた。

 「芸術新潮」12月号が出ている。手にとってみた。
 没後50年&生誕130年記念◎特集。
 「谷崎潤一郎の女(nyo)・食(syoku)・住(ju)」

 「住の巻 文豪は引っ越し魔」で、「MAP 谷崎潤一郎 引っ越しクロニクル」(年齢は数え年)と「谷崎潤一郎の引っ越し」(小谷野敦)などを読む。

 「MAP 谷崎潤一郎 引っ越しクロニクル」の大正十三年(1924年)の箇所を一部引用してみる。


 大正13年(1924)39歳 3月、武庫郡本山村北畑249−1(現・神戸市東灘区)に転居。「痴人の愛」を連載。
 大正15年/昭和元年(1926)41歳 1〜2月、再び中国に遊ぶ。秋、佐藤春夫と和解。本山村栄田259岡本好文園に転居。翌年1月には同じく岡本好文園の別の家に転居(共に現・東灘区)。


 谷崎は大正12年(1923年)の9月1日の関東大震災を契機に関西(京都)へ移住する。

 大正10年(1921年)の項を見ると、《36歳 3月に佐藤春夫と千代夫人譲渡問題がもつれて絶交(小田原事件)。9月、神奈川県横浜市本牧宮原883へ転居。この頃、映画製作に関わる。》

 多田道太郎著『自分学』に、多田さんが生まれて赤ん坊だった時に、隣の家に住んでいた谷崎さんが赤ん坊の産着(うぶぎ)をくださったという因縁がある、と書かれている。
 武庫郡本山村北畑249−1の家に谷崎が住んでいた時に、谷崎潤一郎、あるいは千代夫人が多田さんの生家を訪れて産着を渡した、ということになりますね。

自分学 (ロバの本)

自分学 (ロバの本)

芸術新潮 2015年 12 月号 [雑誌]

芸術新潮 2015年 12 月号 [雑誌]