北斗七星を見る

クスノキ

 背の高い大きな木が、あちこちにある。神社の境内にもよく見かけられる。たいていはクスノキの木であることが多いね。
 夜半に北斗七星を眺めた。天頂に近いところに柄杓(ひしゃく)が逆さになって、柄は東の方へ伸びている。おおぐま座の中の北斗七星である。
 朝日新聞で「木村教授の紙上特別講義」の《笑いの時代へ③》を読んだ。笑いの持つ力や可能性について、読者からの投稿文に対する木村洋二さんの講評で、《その時は大騒ぎになっても後になると笑えてしまうということが人生ではよくあります。この世を去る時はそんな感じで笑えたらいいなと僕も思います。》
 今月の講談社のPR誌『本』2007年2月号は読み応えがある。
 原武史の「鉄道ひとつばなし」は《特急「はやぶさ」に乗る》と題して、九州新幹線が全通すれば、廃止されることが目に見えている寝台特急の「はやぶさ」のA寝台の個室に、昨年の十一月末に乗った話であった。
 「宮脇俊三が皮肉ったように、独房という感じだ。」そうだ。

 広島の在来線ホームは、地上にある。高架ではない。南口に最も近い1番ホームのすぐ外には、路面電車の走る道路がある。どこかの地味な地方都市みたいな駅――三十年前、広島を初めて見たときの第一印象は、いまも全く裏切られていない。初電はまだ出ておらず、この列車が広島を出る事実上の一番電車となる。  21頁

 堀井憲一郎の連載「落語の向こうのニッポン」⑥は「ゼニとカネは別もの」というタイトルで、落語には実によくお金の話が出てくると言う。
 たとえば、『芝浜』の四十二両。『文七元結』の五十両。『火焔太鼓』の三百両。『富久』の千両。『三方一両損』の三両。『大工調べ』の一両二分と八百。『一文惜しみ』の一文。

 ざっくり見たところ、お金の出てこない落語のほうが少ない。金がからんだほうが、物語がわかりやすく進むということだろう。  30頁