クスノキと樹の自由

クスノキのつぼみ

 快晴で風が強い。空気が乾いて肌寒い風である。あちこちにあるクスノキの新芽が生えて若葉に生(な)っている。新芽が出てくる時に、古い葉っぱが落ちるので、木の下の周りにはクスノキの無数の落葉が見られる。
 この落葉は、移動できないものの「ひとつの能力」として見られないことはない。
 先日読んだ内山節の『自由論』では、落葉をめぐって「樹の自由」をも考えていた。こういう自由を論じた本はあまり読んだことがない。
 〈第四章「自然」が投げかけている問いについて〉の中で、「樹の自由」を考えているのだ。

 ところが木は動けないからこそ、ひとつの能力を身につけたような気がする。それは自分が必要としているものを呼び寄せるという能力である。秋に落とす大量の落葉は、微生物や小動物を呼び寄せ、そのことによって彼らに肥料をつくってもらっている。(中略)こんなふうに考えていくと自由はさまざまである、移動できないものの自由も、ここにはある。

 そのあと、「鳥たちの自由」では、筆者の仕事場にやって来るスズメたちの、仲間の自由を守る様子を観察しているエピソードがあるが、感動的な一節である。
 この本のなかで、ジャンボ・タニシや畑の小石の「自由」をも見つめているのだった。
自由論―自然と人間のゆらぎの中で