稲かれば小草に秋の日の当る

ヤマブキ

 十月九日は、二十四節気のひとつ寒露であった。
 昼は、日差しも強く暑いのだが、朝晩は秋の深まりを感じる。早朝に、まだ咲いているアサガオの花を眺める。しばらく咲いていなかったヤマブキの花も咲き出した。黄金色の明るさが目に鮮やかだね。
 蕪村の句に、「稲かれば小草(をぐさ)に秋の日の当る」。
 安永九年九月二十五日の句である。
 先週末、『群像』2007年10月号で、巻頭の前田司郎「誰かが手を、握っているような気がしてならない」を読んだ。中国新聞田中和生が、文章がヴァージニア・ウルフの手法を、一人称で行なったような実験的な書き方である、と論じていたので・・・。うーむ。?
 その他に、巻末の鼎談で、笙野頼子と伊藤氏貴と中島たい子の三人による創作合評を読む。面白かった。とりわけ、津村記久子について語る笙野頼子の評が、うなずくところあり。ちょっと、笙野頼子を見直した。
 夜半に夜空を眺めると、天頂付近にある天の川にカシオペヤ座がM字形をしている。
 月曜からのラジオ深夜便の「ないとエッセー」は、「生命の仕組みにせまる」と題して、分子生物学者の福岡伸一氏の話であるが、耳を傾けて聴いている。
 『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)の著者のようですね。