「書棚と平台」

アオサギ

 暑さ寒さも彼岸まで。九月二十日が雑節で「彼岸」である。
 川岸にアオサギがいた。近寄ると人の気配に気づき、大きな翼(つばさ)を広げて飛び上がって行った。
 柴野京子著『書棚と平台』(弘文堂)を読む。とても興味深い。
 副題は「出版流通というメディア」。柴野さんは、出版物の取次会社(現トーハン)へ勤務した経験のある方で、その体験を含めて日本の出版流通の構造、歴史的な経緯とシステム構造の両側面から検討している。

 28ページに、《したがって本書は、人が本と出会い、選び、買って読むということが、どのような場面でどのような動機や文脈をもって行われ、誰によって形成されてきたのかを追う作業を通じて、流通のメディア作用を明らかにすることをめざす。個別的で漠然とした「現代的読者が求める出版流通とは何か」ではなく、「出版流通は読者に何かをもたらしたのか、またもたらし得るのか」という命題の立て方をしようということである。
 終章を読んでいくと、「出版流通の今日的局面」に「マニアの本棚」というところに、

ネット上で繰り広げられ、本の新たな情報源として積極的に活用される読書関連ブログの実態を数量的に示すことは難しいが、たとえば二〇〇四年に開設された『退屈男と本と街』(http://taikutujin.exblog.jp/)は、読書や本に関するブログのポータルサイト的な役割を果たして支持を集めた。このブログの特徴は、運営者である「退屈男」の日記という形をとりながら、そこに彼の購読記録に交えて、さまざまな読書ブログから得た情報がリンクされている点にある。その掲載の仕方について「退屈男」自身は次のように語っている。


  ネット上にたくさん面白いサイトがあるけれど、それらがバラバラに存在しているから、人の目にとまりにくい。だから、自分でリンクをはって紹介しようと思ったんです。雑誌の目次をつくっている感覚で、そこに付ける自分のコメントはいわば『編集後記』みたいなものですね。


 『退屈男と本と街』の画面は、たまに追加更新される固定的なリンク集と、日々更新の流動的な「その日集めた情報」による本文で構成されている。この安定した構造が気負いのない私的な日常で彩られていることによって、読者にとっての高いポテンシャルが維持され、学生や一般の社会人はもちろん、古書店主、編集者、作家など、本に関心をもつ人々が次々に集まった。個人サイトのため波があるが、頻繁に更新が行われていた二〇〇七年ごろには、RSSリーダーの一種であるアンテナを公開している「はてな」だけでも、常時二五〇人あまりがこのサイトを登録し、巡回していた。  202〜203ページ

 このあと、個人単位でダンボール箱一個分の古本を持ち寄って一日店主となる本のフリーマーケット、「一箱古本市」についての記述がある。都内から始まり、さらには仙台や福岡など他の都市にも波及しつつある、と述べている。

書棚と平台―出版流通というメディア

書棚と平台―出版流通というメディア