河村黎吉と森繁久彌

 21日は二十四節気のひとつ夏至だった。
 蕪村の句に、「明けやすき夜や稲妻の鞘ばしり」。
 6月26日に、晴天であれば部分月食が見られる。食最大は午後8時半ごろ。
 
 新刊の小林信彦著『森繁さんの長い影――本音を申せば』(文藝春秋)には、「週刊文春」連載以外のエッセイで、「森繁さんの長い影」という文が収録されている。
 この「森繁さんの長い影」で、映画『三等重役』の社長役・河村黎吉(れいきち)に触れていた。
 

あくる一九五二年の「三等重役」が決定打となる。敗戦で追放された大物財界人たちがそろそろ戻ってくる雰囲気の中で、社長(名優・河村黎吉)、ずる賢い課長(森繁)が怯えて暮す日々のペーソスが面白く、森繁の場合、NHKでサラリーマンの現場を知っていたのがプラスだったのかも知れない。映画は大ヒットで、たちまち「続・三等重役」が作られ、東宝における〈サラリーマン喜劇〉がここでスタートした。
 森繁久彌は河村を尊敬していた。とたびたび語っている。タイプとしても、似ているといえないことはない。悲劇も喜劇も人情劇も可能な役者は、当時、河村しかいなかったのである。  252〜253ページ 

 一九七二年、森繁のマネージャーから電話があって、小林さんに「一度お目にかかりたがっている、という。」
 西麻布の坂の途中にある小料理屋で会った印象記が読ませる。
 

われわれは河村黎吉、三井弘次、日守新一といった現場叩き上げの名優たちを知っている。森繁久彌も本当はその系列に属する人だが、テレビというメディアが増え、スケールが少しばかり大きい。もちろん、そうしたことは言わず、私は黙って酒を飲んでいた。森繁久彌の話はいつまでも続いた。  257ページ

森繁さんの長い影

森繁さんの長い影