『ほろにが菜時記』と「エスプレッソ」マニア

 塚本邦雄著『ほろにが菜時記』(ウェッジ)は、 新年、春、夏、秋、冬の食材をめぐるエッセイで、50種類の食材と「雑」として四つ、麩、チェリモヤエスプレッソ、むかしなつ菓子という項目があります。
 冒頭の「序 ポモ・ドーロ!」で、
 

私説「ほろにが菜時記」は一九八五年(昭和六十年)の四月に始まった。九九年十二月で一八七回に達する。全く平凡な日常茶飯事の側面紹介に過ぎないが、私の言語に関する潔癖は食品の呼称にまさに「こだわり」つづけて来た。たとえば「アボカード」だが、これはその名さえも、市場一般では八〇%間違っている。たとえば「アボカード」中・南米産のこの果実、当然スペイン語を背後においているのだから「アボカード」と発音すべきだ(VはBの発音。終りから二つ目のシラブルが揚(よう)になるから、長音だ)。ところが、一九九六年八月頃、百貨店に行こうが果実・野菜店へ行こうが、八〇%は「アボカド」の四字表記になっており、誤謬を指摘すると、「出荷先から、この通りの『名札』や『送状』がついて来ています」の一言で追っ払われた。場末の野菜果物市へ行った方が、素直に私の発音に従順であった。こんな商品名は序の口の門前、食堂・茶房・レストラン・カッフェ自体の名すら間違っていることの方が多い。

 といった指摘が書かれています。
 また、珈琲についてのエピソードとして、

珈琲=コーヒー、これも危っかしい発音の一つだが、私は「エスプレッソ」マニアで日に一杯飲まぬと仕事が宙に浮く。二年前イタリアで友人と某空港の小さな珈琲カウンターで、四人連ゆえに「クヮトゥロ・エスプレッソ」と注文したら使用人のセニョリーナがにっこりして「クヮトゥロ・エスプレッシ?」と反問された。全く以ってお粗末なミス。複数は語尾が「i」に変ることくらい、イタリア語一週間学べば自然に出てくるのに。
 私は一日にエスプレッソ三杯は賞味する。エスプレッソメーカーも置いて既に十年以上。それにしても、イタリアでは「トマト」が「ポモ・ドーロ(黄金の果実)」とは、いささか誇張がすぎると思いますがね。

 読んでいて気になった箇所は、「セニョリーナ」とありますが、イタリア語ですからシニョリーナでしょう。
 

 恐ろしく大衆的な「洋菓子」の一つに例の「ボーロ」がある。衛生ボーロから蕎麦ボーロまで多種多様、今思えば、ビスケット等の総称だったろうが、この「ボーロ=bolo」こそ、ポルトガル語の「菓子」であった。イタリア語の「dolche(ドルチェ)→甘い→菓子」と共通するようだが、一方スペイン語でも、bollo〉はケーキ一般を指し、時によると「甘食(あましょく)パン」のことにもなる。  234ページ

 dolche(ドルチェ)はイタリア語ではdolceでしょう。
 巻末の「跋 苦渋辛酸のお祓い」には、息子さんの塚本青史さんが父親の植物栽培や講釈好きについて語っています。この本のタイトルの「ほろにが」は、塚本邦雄さんがエスプレッソ珈琲を器械を買って終生楽しんでいたことから付けられたのでしょうか。