映画『本能』

映画「本能」

新藤兼人 百年の軌跡」の一本で、新藤兼人監督の映画『本能』(1966年、近代映画協会、103分、白黒)を観る。
 出演は、観世栄夫乙羽信子東野英治郎殿山泰司。撮影は黒田清巳、音楽が林光である。

 5月プログラムに、 

蓼科高原の山荘で休暇を過す能楽師。彼は広島で被爆し、性的機能に支障をきたすようになった。食事の世話をしてくれる農家のおばさんの機転で、彼は機能を回復するが・・・。蓼科の四季を背景に、人間の性と自然を一体のものとして描く。

 冒頭、哲学的な言葉がスクリーンに映る。 

 われわれはどこからやって来たのか。
 われわれは何をもとめているのか。
 われわれはどこへ行こうとしているのか。といった風な言葉。

 能楽師観世栄夫)の山荘の食事の世話をしている農家のおばさん(乙羽信子)が、生き生きとした気力を失った能楽師の男を元気にさせようと機転を働かせて、地元の三人の若者に頼んで一芝居をうったことを観客はラストに知ることになる。
 能楽師が農家のおばさんの家の前で猫の鳴き声を真似て唸るシーンがあるのだが、館内は爆笑。
 面白い筋書きだった。
 元気を取り戻した能楽師観世栄夫)が山荘のベランダで能を、おばさん(乙羽信子)の前で舞ってみせる。精気を取り戻したシーンだ。いい場面である。
 山荘へストーブの燃料の薪(たきぎ)を牛の背に積んで雪道を運んで来る男を、殿山泰司が演じている。
 翌年山荘を訪れた能楽師は、おばさんが自分のために機転を働かせそのために死んだという事実にしんみりするのだった。


 新藤兼人著『老人読書日記』(岩波新書)を読んでいる。岩波書店小野民樹さんのすすめで書いた八十八歳の映画監督の読書日記。自伝的な回想の部分などエピソードが特に面白い。
 見返しに、《八十八歳の映画監督の夜にしのびよるすさまじい孤独、ひとときの救いは一冊の本だ。新しい本には秘密の扉を開くときめきがある。古い本もまたいい。そのときどきの自分の生きた時代に出会える。そのむかし、心を揺り動かしたものが、いまどんな姿をしているだろうか、別れた恋人に出会うような気持ちである。スーパー独居老人の読書三昧。》

老人読書日記 (岩波新書)

老人読書日記 (岩波新書)