二十四節気のひとつ処暑である。最高気温32℃、最低気温26℃で、晴れた。
街路樹のナツメに果実が鈴なりである。しかし、まだ色づいてはいない。
中村草田男句集「来し方行方」を読む。
昭和十七年(1942年)、中村草田男は秋の京都へ旅行している。
文部省主催の「藝術学会」に出席するための旅である。
句集を読むと、旧友の伊丹万作の家に、草田男が泊まっていることが分かる。
草田男という名前を、初めて見たときに、農村の田園の緑したたる風景を連想したのだが、なんでも草田男と名乗ったのは、そんな牧歌的なことからではなく、「腐ったような奴、腐った男」といった風に軽く見られて馬鹿にされたことから、俳号を草田男と名乗ったというのである。うーむ。
昭和二十一年(1946年)に、「三十三年間の友、伊丹万作歿すとの報に接す。すべての気力消え失せ、薄志弱行のさま、爾来三週間たゞ無為の日を送りつゝあるなれどもせんすべなし。 九句」と前書きがあり、
少年成(お)ひ長(た)ち五十の秋に満たずして
過去の断崖離(さか)るよ露の友佇ちて
まぼろし真向き秋日のそばに道の上(へ)に
なんぞ堅き友亡きのちの秋日の道
形影まろし野菊うたかた流れゆく
此世の田刈らるべきもの刈られ果て
行きずりのラグビー・風呂屋聲に充てど
悔いの聲烏迹追ふ秋落日
蟲に寝んとす友にはもはや寝起き無し
昭和十七年、中村草田男が伊丹万作の京都の家に泊めてもらった時に、万作の息子の伊丹十三はまだ小学生だった。
その伊丹十三の責任編集した「モノンクル」という雑誌があった。*1
黒澤明の「七人の侍」を論じた対談があって斬新な見方が面白かった。
雨と旗をキーワードにして論じていた。
ふと雑誌のことを思い出したのは、赤田祐一・ばるぼら著「20世紀エディトリアル・オデッセイ 時代を創った雑誌たち」という本を目にしたからだ。
筆者が目に留めて収集してきた60年代、70年代、80年代の雑誌・ミニコミ(漫画同人誌を含む)が多数写真で表紙が載せられていて資料的にも関係者へのインタビューなどもあり貴重な証言になっている。

- 作者: 赤田祐一,ばるぼら
- 出版社/メーカー: 誠文堂新光社
- 発売日: 2014/04/21
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (12件) を見る