双葉十三郎著『ぼくの特急二十世紀』の「第2章 雑誌『新青年』はよかったな」では、雑誌『新青年』について語られる。
《雑誌だと、中学二、三年のころから『新青年』の熱烈なファンになりました。『新青年』は大震災のちょっと前、たしか一九二〇(大正九)年ごろから出始めていたんですが、日本のミステリー作家を育てたという意味で、とても大きな役割を果たしたと思います。江戸川乱歩とか横溝正史とか海野十三とか甲賀三郎とか水谷準といった人たちは、みんな『新青年』出身ですよね。で、そうした創作だけじゃなくて、なにより海外のミステリー作家の作品を翻訳し、紹介したのが良かった。年に二回だったか、探偵小説ばっかり集めた増刊号が出たんですが、それはほんとうに待ちかねていました。》 41ページ
「弁士と楽士」は、サイレント映画につきものだった楽士の演奏と弁士の話。
《このころの映画って、もちろんサイレント、無声映画です。トーキーが始まるのは、ぼくが高校生のころから。日本映画のトーキー化は、さらに数年遅れますが、それまでは弁士が活躍した。弁士は活弁(活動写真弁士)とも言われたけど、のちに徳川夢声の時代になると、説明者と格上げされて呼ばれるようになった。》 50ページ
徳川夢声、大辻司郎、松井翠声、山野一郎、牧野周一といった弁士の話術の話が興味深い。
その一部を要約して引用すると、
徳川夢声は、その不気味な雰囲気が素晴らしかった。
大辻司郎は、喜劇専門。茶々を入れ、ときに奇声を発して観客を笑わせる。
松井翠声は、アメリカ帰りでアメリカ映画が十八番(おはこ)で洒落た口調。
山野一郎は、非常に静かな語り口。
弁士が話術の面白さで映画を引き立てたという。
他に、パラマウント社で売り出した女優のルイズ・ブルックスがトーキーの時代になって、ヨーロッパに行って、「パンドラの箱」(’29)に出たことをめぐる話も面白い。
当時、「パンドラの箱」は魔性の女ルルの流転する人生を第一次大戦後のドイツ社会を背景に描いた強烈な作品だった。
この作品に双葉さんは腹がたってね、と語っている。
《この作品で、周囲の男を次々に破滅させながら、当人はそのことを意識しない純粋無垢な女という文学的なスターになって、文壇のみなさんの中にも彼女の賛美者が激増したんだけど、ぼくは腹がたってね。だって、パラマウントで売り出したころからのゴヒイキだったぼくとしては、そんな彼女よりもパラマウント時代のほうがずっと良かったんだから。》 58〜59ページ

- 作者: 双葉十三郎
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2008/03
- メディア: 新書
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