加藤秀俊著『暮らしの世相史』のこと

 活動弁士佐々木亜希子さんによるアルバート・パーカー監督の映画『ダグラスの海賊』(1926年、アメリカ、85分、カラー、無声)を映像文化ライブラリーで先月鑑賞したのだった。

 「夏休み活弁シアター」パンフレットより再録。

 17世紀の地中海で海賊船に襲われ父を殺された若者は復讐を誓う。彼は自らも海賊の一員となり、一目置かれるようになるが、卑怯な手段で姫を人質にした仲間に戦いを挑む・・・。ハリウッドが生んだ最初のスーパースター、ダグラス・フェアバンクスの代表作で、世界初の本格的長編カラー映画として映画史に残る作品。フィルム提供/マツダ映画社

 加藤秀俊著『暮らしの世相史』を読むと、ダグラス・フェアバンクスについて参考になる箇所がある。

 
 《べつだん、日本映画史をここで復習しようとはおもわないが、大正から昭和初期にかけての十五年間は映画の全盛期であり、そのなかでもアメリカ映画が確実に日本の大衆文化のなかに根をおろした時期であった、といってもよい。とりわけ、昭和四年五月に初のトーキー映画としてフォックス社の『進軍』が東京武蔵野館で上映され、無声映画の時代がおわると、映画をつうじての「アメリカ」がひたひたと日本におしよせてきた。
 じじつ、田中純一郎の『日本映画発達史』によれば、昭和四年十二月にはダグラス・フェアバンクスとメリー・ピックフォードが来日して大歓迎をうけ、あとでみるように、かれらは“ダグ“と“メリー”という愛称で日本じゅうの人気者になった。昭和七年になるとチャーリー・チャップリンが神戸着の客船で日本にやってきた。サイレント時代の人気スターであったチャップリンにたいする日本人の熱狂ぶりはどうやら常軌を逸したものであったらしく、かれが乗った列車が神戸から到着したとき、東京駅には一万人をこえるファンが殺到し、チャップリンは四百人の警官にまもられてやっと帝国ホテルにたどりついた。その翌日の新聞は一面トップに大活字で「ようこそ! チャップリン」「映画王もみくちゃ」と見出しをかかげた。》 125ページ