佐藤忠男著『映画で日本を考える』を読む

 新刊で、佐藤忠男著『映画で日本を考える』を読む。

 「一九一〇年代のアメリカ映画が日本文化に与えたもの」で述べられている一九一〇年代のアメリカ映画が、日本映画と日本の大衆文化に与えた影響をめぐる考察が興味深い。
 7月にアルバート・パーカー監督の映画で『ダグラスの海賊』(1926年、アメリカ、85分、カラー、無声)を活動弁士佐々木亜希子さんの活弁で鑑賞したのだったが、主演のダグラス・フェアバンクスが海賊船に父を殺された若者を演じていた。
 当時四十代であったダグラス・フェアバンクスだが、ハリウッドの生んだ最初のスーパースターだったという。ガレー船で部下を引き連れて駆けつけ、海賊一味と戦うシーンが印象的だ。
 そのダグラス・フェアバンクスについて触れている箇所を一部引用すると、 

 《元気のいいお転婆な娘を魅力的だと思う感受性も、この時代以降のアメリカ映画から日本が学んだものだと言っていいだろう。メリー・ピックフォードという女優がその代表的なスターだった。二十歳を超えても少女の扮装をして男の子たちを集めてガキ大将みたいなことをやって人気があり、アメリカン・スイートハート(アメリカの恋人)と呼ばれていた。それを真似て一九二〇年代には日本最初のスター女優である栗島すみ子が〈日本の恋人〉と呼ばれたものである。メリー・ピックフォードは活劇スターのダグラス・フェアバンクスと結婚して昭和初期には日本に来たことがあるが、そのとき劇場での舞台挨拶でのダグラス・フェアバンクスが、「僕をミスター・ピックフォードと呼んでくれ!」と叫んだ。そんな陽気さと、女性尊重ぶりこそがアメリカらしい良さとして日本のファンには語り継がれてきたものだ。》 203ページ

映画で日本を考える

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