能もなき渋柿どもや門の内

 先日、道端の街路樹に柿の木があった。柿の色が青空に映えている。葉は落ち、実は枝に鈴なりであった。近くに寄り、下から見上げる。一番の低い位置にある実は手が届かない高さにあった。

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 「能もなき渋柿どもや門の内」

 夏目漱石の俳句で、明治31年(1898年)の句である。

 坪内稔典編『漱石俳句集』の解説に、

 《明治二十八年五月二十八日、漱石は神戸の病院に入院していた子規にあてて、「小子近頃俳門に入らんと存候」と書き送った。松山の中学校教員であった漱石は、「俗流に打混じアッケラ閑として消光」しているが、「僻地師友な」く、「結婚、放蕩、読書」のどれかを選ばないことには、この田舎では辛棒できないと言う。「俳門に入らん」というのも、田舎暮らしの気晴らしをしようということだったにちがいない。そして、いくらかは病気になった俳句好きの友人への挨拶の気持ちもあっただろう。(後略)》