映画「ツユクサ」

 今年観た映画を振り返ると、平山秀幸監督の映画「ツユクサ」があった。主演は小林聡美小林聡美といえば、フィンランドヘルシンキを舞台にした荻上直子監督の映画「かもめ食堂」が思い出されるのだが、映画「ツユクサ」も印象深い作品だった。

映画『ツユクサ』公式サイト | 絶賛公開中 (tsuyukusa-movie.jp)

 

新刊のエッセイ

 八朔(はっさく)の実る季節になった。青空を背にして果実の黄色い色が鮮やかだ。ミカン科ミカン属の常緑広葉樹。近くに寄って眺めると、葉に艶(つや)がある。
 八朔は甘味と酸味にほのかな苦みのバランスがよい。爽やかな香りもよい。 


 ミカンの一品種。果実は表皮が滑らかでやや小形、甘味も多い。江戸末期に広島県因島で発見された。八朔柑(はっさくかん)。  『大辞泉

 新刊で、川本三郎著『ひとり遊びぞ我はまされる』を読む。
 

 雑誌「東京人」連載の文を収録している。

 「清張の甲州好きの謎を解く。」は清張の文学の恩人、山梨県生まれの木々高太郎について触れている。
 「近郊ローカル線に乗って児玉へ。」は、吉田健一の「或る田舎町の魅力」の町、JR八高線児玉駅へ鉄道で訪れたエッセイ。

ひとり遊びぞ我はまされる - 平凡社 (heibonsha.co.jp)

 

 

 

 

映画「ミセス・ハリス、パリへ行く」

 アンソニー・ファビアン監督の映画「ミセス・ハリス、パリへ行く」(2022年、116分、イギリス)を観る。

 ポール・ギャリコの小説「ミセス・ハリス、パリへ行く」が映画の原作。

 舞台は、ロンドンとパリ。時代は第二次世界大戦の終わった1950年代で、夫を戦争で亡くした主人公のミセス・ハリス(レスリー・マンヴィル)はロンドンで家政婦をしていた。雇い主の夫人の着ているディオールのドレスを手にしてドレスに魅せられる。ドレスを着たいと思いを募らせて資金を貯め思い切ってパリへ向かった。真っすぐにパリのディオールの店を訪れたが、格式の高いドレス職人をかかえたディオールの店の支配人(イザベル・ユペール)に追い出されるのだったが・・・。

 コメディタッチで、暖かく楽しい映画だった。「ローマの休日」のスクーターのシーンを「引用」している箇所がある。意地悪役でイザベル・ユペールが出演している。

 

 

 

 

 

新刊から

 新刊で、『鶴見俊輔、詩を語る』に注目。詩人の谷川俊太郎と元教え子の詩人正津勉とによるインタビュー、詩をめぐる話題だけでなく内外の同時代人の人物評の証言も興味深い。
 鶴見さんの詩も一読を!
 
 


《出鱈目の鱈目の鱈を干しておいて
 夜ごと夜ごとに
 ひとつ食うかな

 谷川 〔詩は〕やっぱりフッと出てくるんですか、なんにも考えないで。
 鶴見 そう。これから仕事しようとかそういうのじゃなくて、フウッと出てくるというものが詩になっているわけ。

 「俊」の一字に結ばれた詩人と、元教え子の詩人を相手に、縦横無尽に詩を語る。
 鶴見俊輔生誕百年に甦る、幻の鼎談!》
 
 参照:https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784861829222

 

 

「言葉の人生」

 片岡義男の『言葉の人生』を読む。

《一九五〇年の「バッテンボー」からさかのぼること二年、一九四八年、昭和二十三年、僕は疎開先の山口県岩国から広島県呉へ移っていた。九歳になって半年後の夏の終わり、広島リッツ劇場という映画館の前に僕たち子供が集まり、その日の半日をどう過ごすか、相談していた。大敗戦から三年後、占領下の日本の街に、アメリカ軍の兵士たちは景色としてなじんでいた。僕たちがいた映画館の前を、アメリカ軍のジープが徐行していった。
 それを見た子供の一人が、ジープに向けて斜めに駆け寄り、「チョコレート・ワン・サービス」と叫んだ。ジープのうしろを走りながら、彼はおなじ言葉を何度か叫んだ。チョコレートをひとつちょうだい、と日本の子供たちにせがまれていることにまったく気づかないまま、アメリカ軍のジープは走り去った。

 当時の子供は、「ギヴ・ミー・チョコレート」とは、言いたくても言えなかった。英語の構文を知らなかったからだ。彼にできたのは、「チョコレートひとつちょうだい」という日本語の語順どおりに、「チョコレート・ワン・サービス」と、英語の単語を当てはめていくことだけだった。》 10~11ページ

《数多くのカタカナ語と日本社会とのこの上ない固い結びつきを俯瞰すると、その手前のほうでひときわ大きく立ち上がっているのは、ビル、ライス、テレビの三語だ。いまに続く戦後の日本語の基礎を作ったのは、この三つの言葉とそれぞれが持った実体ではなかったか。》  11ページ

 

 

 

言葉の人生 | 左右社 SAYUSHA

PR誌から

 新潮社のPR誌「波」8月号と9月号に「45冊! 新潮文庫松本清張を全部読む」(南陀楼綾繁)が、短編小説編と長編小説編の二回に分かれ掲載されていた。没後30年に当たる企画。

 《清張は一九〇九年(明治四十二)十二月に現在の北九州市で生まれたとされるが、これには異説もある。その前に両親が住んだ広島で撮られた赤ん坊の写真が見つかり、そこには「二月十二日生」と記されていたという(藤井康栄『松本清張の残像』文春新書)。》*1

 「父系の指」から引用されている母の話し言葉広島弁のようである。*2

 「砂の器」は島根県出雲地方で使われる出雲弁が謎の重要な鍵になる。

 亀嵩(かめだけ)から県境の峠を越えると鳥取県の日南町矢戸へ行くことができる。距離的に近い。

 矢戸は清張の父の故郷である。

 

*1:8月号、38ページ

*2:8月号、45ページ

映画「言葉と行動」

 8月にあった「フィルムデーズ2022 映画でつながる、ヨーロッパ」で、エマニュエル・ムレ監督の『言葉と行動』(2020年、122分、カラー、Blu-ray、フランス語、日本語字幕)を鑑賞する。

 出演は、カメリア・ジョルダナ、ニールス・シュネデール、エミリー・ドゥケンヌ、ヴァンサン・マケーニュ。

  パンフレットより引用。

2人の男女が互いの身に起きている愛の物語を語り合う。欲望と愛情の違いとは? 既婚の相手に対し一歩踏み出せるか? 成就しなかった恋に再挑戦できるか? 幾人かの男女たちの人生が交差し、軽やかで深淵なる愛のタペストリーが織りなされていく。監督のエマニュエル・ムレは、サッシャ・ギトリエリック・ロメールの後継者、あるいはフランスのウッディ・アレンと評され、ラブコメディの名手として一作ごとにその評価が高まっている。

 

 ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督の映画『ロゼッタ』(1999年)のエミリー・ドゥケンヌが出演している。