PR誌から

 新潮社のPR誌「波」8月号と9月号に「45冊! 新潮文庫松本清張を全部読む」(南陀楼綾繁)が、短編小説編と長編小説編の二回に分かれ掲載されていた。没後30年に当たる企画。

 《清張は一九〇九年(明治四十二)十二月に現在の北九州市で生まれたとされるが、これには異説もある。その前に両親が住んだ広島で撮られた赤ん坊の写真が見つかり、そこには「二月十二日生」と記されていたという(藤井康栄『松本清張の残像』文春新書)。》*1

 「父系の指」から引用されている母の話し言葉広島弁のようである。*2

 「砂の器」は島根県出雲地方で使われる出雲弁が謎の重要な鍵になる。

 亀嵩(かめだけ)から県境の峠を越えると鳥取県の日南町矢戸へ行くことができる。距離的に近い。

 矢戸は清張の父の故郷である。

 

*1:8月号、38ページ

*2:8月号、45ページ