ゆき暮て雨もる宿やいとざくら

ヒドリガモ

 橋を渡っていると何やら食べ物を川へ放り投げている人たちがいた。歩道の欄干にもたれかかって、袋からポップコーンを撒いている。そばに寄ってみると、水面にヒドリガモの群れが泳いでいるのだった。公園で、鳩に食べ物を与えているかのような光景だった。ヒドリガモは、その撒かれた食べ物を泳ぎ回りながらついばんでいる。うーむ。
 街路樹の桜は、いつの間にやら開花が進んでいた。あっという間に枯れ木に白い花が咲いた。見事なものである。『蕪村句集』に、

 暮れんとす春をゝ(を)しほの山ざくら*1
 銭買(かう)て入るやよしのゝ(の)山ざくら
 ゆき暮て雨もる宿やいとざくら

 いずれの桜も、今日のソメイヨシノではない桜で、そういった桜を蕪村はめでていたのだろう。
 新聞の切り抜きを、まとめて読んだ。朝日の「文芸時評」を担当していた島田雅彦の連載が終わる。タイトルは「時代の主役へ」で、その連載を締めくくる最後の文章が面白かった。納得するところあり。

 次代の文学の主役は今まで劣悪な生活環境に耐えてきた者たちである。それはニートや負け犬やフリーターたちばかりではない。来年四月から年金分割制度が実施されるが、それを機に熟年離婚に踏み切るおばさんが増える。社会の片隅に追いやられていたおばさんたちが自由を謳歌しはじめたら、どうなるか? その不穏な予兆は桐野夏生の作品に垣間見ることができる。がんばれ、おばさん! 若者とオヤジ中心の社会をひっくり返せ。 

 
 
 

*1:をしお。脚注によると、小塩山。京都の北西大原野にある。