阿川弘之の『贋車掌の記』

アキグミの花

 通りの街路樹のアキグミの木に花が咲いていた。白い小さな花が満開である。しだいに淡黄色の花に変わっていくらしいが、今のところまだ白い。
 五月二日は、雑節でいうと八十八夜である。「立春から八八日目で、五月二、三日ごろにあたる。このころから農家は種まき・茶摘み・養蚕などに忙しい時期となる。」(『大辞泉』より)。蕪村の句に、「行(ゆく)春や白き花見ゆ垣のひま」。
 夕方の晴れ渡った西空に月が眺められた。三日月である。月と空の刻一刻と変化していく色がきれいだなぁ。
 先月の下旬に、ブックオフで見つけて即買った本。650円。
 阿川弘之の『贋車掌の記』1982年(六興出版)を読む。本の帯に〈道路・鉄路・空路の四半世紀の変貌ぶりを再体験した書き下ろし100枚に昭和三十年代の我国鉄ルネッサンス期に書かれた自選作を対比させた乗り物ユーモア篇 阿川贋車掌(にせしゃしょう)・出発進行!〉。まえがきに、

 ただし、文学の世界ではむつかしい進歩的議論の好まれた時代で、お船に汽車ポッポ、こんなことばかりやっている小説家はあまり高い評価を受けなかった。自分の方こそ進歩的なのだと私は思っていたが、誰もそう思わないらしく、せいぜい苦笑気味の妙な眼で見られるのが落ちであった。それでも捨てる神あれば拾う神あり、私の書く乗り物随筆に一片の共感を示し、買い取ってくれようという少数具眼の伯楽がいなかったわけではない。当時雑誌『旅』の編集長だった岡田喜秋さんがその一人であり、中央公論社の出版部員だった宮脇俊三さんは別の一人である。御両人とも今では、紀行随筆の書き手として、鉄道文学の書き手として、頓に名が高い。 2〜3頁

 「F104搭乗」という文は、「三年前の十二月、三島由紀夫から何度も電話がかかって来たことがあった。」と始まる。三島氏から電話をもらうことなどめったにないので、三島夫人に聞いてみると、笑い出して「そうじゃないのよ。F104っていう自衛隊の戦闘機に乗せてもらってね、たいへん興奮して帰って来たんですけど、うちじゃ誰も相手にしないもんだから、あなたに聞いていただきたかったんでしょ」。この随筆は三島が亡くなった年の四月に発表されている。航空自衛隊の超音速戦闘機に体験搭乗する話である。それと、三島は案外さびしがり屋だったんだなと、阿川弘之の文を読んで思った。