雀より鶯多き根岸哉

 月刊『波』2014年11月号で、連載「子規の音」(森まゆみ)第十回「雀より鶯多き根岸哉」を読む。

 《明治二十六年の正月を、正岡子規は母八重と妹律のいる根岸で迎えた。そのころは年賀状よりも近所や世話になったところに年始まりをしたもので、子規も陸羯南、旧主久松邸などをまわった。陸は前年末から体調を壊して床にあった。いっぽう子規は元日から日本新聞社へ出社している。  87ページ》
 
 陸羯南について森まゆみさんは、

 《陸について、若いころの私は明治の国粋的ジャーナリストくらいの感覚しか持たなかった。もちろん政治学者としての丸山真男の陸評価も知っていたが、「日本」(にっぽん)という新聞のタイトルも、私にはなじまなかった。曲折の末、私は日本の文化や環境や建造物を何やかやを守る活動に携わっている。なぜか保守政党が壊してもうけるものたちの側に立ってちっとも保守しないので。  86ページ》

 明治二十六年一月九日、《この日は根岸の岡倉氏宅で会があった。集まる男女四、五十人、庭園に茶店がもうけてあったという。これは東京美術学校岡倉天心の邸と思われる。天心は家の吉兆を見る癖があり、根岸だけでも何度も引っ越している。  88ページ》

 五月にも子規は岡倉邸に出向いている。

 《二十日。岡倉邸での土曜会に内藤鳴雪と参加。五月末にもなれば蚊も出て来た。
    山寺の方丈深き蚊遣哉
 月末は俳句分類に熱中した。五月の出社日、九日。  92ページ。》

 根岸といえば、菅野昭正編『九鬼周造随筆集』(岩波文庫)に、九鬼周造が母と岡倉天心の根岸での思い出を書いている。「根岸」と「岡倉覚三氏の思出」に。

九鬼周造随筆集 (岩波文庫)

九鬼周造随筆集 (岩波文庫)