ハイデッガーの小冊子

ハスの葉

 八日は、二十四節気のひとつ白露(はくろ)である。秋分の十五日前の日。
 晴れて暑い日だった。それでも朝晩は幾分涼しくなる。
 正午すぎに、トンボを二匹見た。アキアカネらしい。川からの風に向かって飛んでいた。橋を渡っている間、他のアキアカネの一匹がいっしょに並んで飛んでいた。横から飛行しているトンボを観察すると、川上から吹き付ける風に流されることもなく、川を横切って行く。
 夕方、公園の池へ寄り道。近くからトランペットの音色が聞こえて来る。誰かが近くで演奏しているようだ。と付近を見ると、ベンチで一人の男が吹いていた。うまい。しばらく聴き入っていた。
 午後八時、晴れた東の空に満月が昇っていた。高度は十五度くらいだが、大きく感じられる。地球に最接近していて、未明には部分月食があったそうだ。
 ブックオフで二冊。各105円。
 『Peter Rabbit's ABC and 123』(FREDERICK WARNE)
 『最新刊』1989年(中野翠毎日新聞社

 森本哲郎の『ことばへの旅』を読み続ける。〈存在について〉という文に哲学者のマルチン・ハイデッガーを、南ドイツのフライブルグに訪ねた時の話が興味深い。「野の道」という7ページしかない小冊子をもらって、森本さんはフライブルグの小さな宿で、眠れないまま、あてどもなく考えにふける。

 ハイデッガー氏は、私のひざに置かれた小冊子を見やって、低い声で、こうつぶやきました。
「いま、わたしが最も関心を持っているのは、ことばの問題です。戦後、ドイツでも哲学をアメリカ流に技術的に取り扱おうとする考えが支配的になりましたが、わたしはそうした哲学に対して、ほんとうの哲学、ほんとうの形而上学を再建しようと思っているのです。そのカギはことばにある。たぶん詩にね。」
 詩こそことばの核心にふれるもの、そして、ことばこそ哲学の核心に迫るもの、と教授は考えているようでした。

 その夜、フライブルグの小さなホテルの一室で私は小冊子を一心に読みました。そして、その中に、あのことばを見つけたのです。
 「単純なものこそ、変わらないもの、偉大なるものの謎を宿している」ということばを。  80〜81頁