横井也有の句のこと

アサガオ

 夜が明けて、雲ひとつない青空である。猛暑の昼間を避けて、早朝に墓参りに出かける。道中に、青いアサガオに包まれた生垣の家があった。青空のような色のアサガオである。
 途中、お店で「ホトケさんのお花」を買う。

佛への土産できたる花野かな  也有

 多田道太郎の『新選俳句歳時記』に、也有のこの句を選んでいるので、嬉しくなる。はてなの「キーワード編集」で、横井也有について書いたことがあったから。
 句をめぐって、多田さんは次のように述べている。

〝ホトケさんのお花〟と言ってむかし母は白川女(しらかわめ)の売りに来た花を買いに走った。今、妻は菊やカーネーションを束ねた〝ホトケさんのお花〟をマーケットで買うて帰る。昔、近世では横井也有は「花野」で摘んだ野の花を「佛」への「土産」にしたそうな。   [花野]

 この本では、也有の句は、二句採り上げている。もう一句は、「くさめして見失ふたる雲雀(ひばり)かな」。
 この句への、多田さんのコメントは以下の通り。

 クシャミというのは日常卑近。それでいて飄逸、天の一角を目ざしている。横井也有の名随筆『鶉衣』岩波文庫)のように。  [雲雀]

 夕方、遠くのもう一箇所へ墓参りに出かけたのだった。暗くなっても蝉が鳴いている。暑い暑い一日であった。