森岡まさ子さんとフォスコ・マライーニさんのこと

柿

 川を渡っているとカモメが前方を横切ってゆく。快晴の青空にカモメの白いつばさが、ゆっくり羽ばたきながら滑るように飛んで行くのだった。通りすがりの畑に柿が鈴なりで、細い枝が重みで垂れ下がっているのだった。
 リンク元に、Googleから木曜、金曜日と「森岡まさ子」「森岡まさ子 ユースホステル」で検索数が急増している。
 調べてみると、7月に放送のあったラジオ深夜便の「こころの時代」で、「出会いは人生の宝〜97才を生きる」と題した森岡まさ子さんへのインタヴューの再放送があったようだ。
 7月3日と24日、それと8月6日の日記に森岡さんついて触れていた。
 参照:http://d.hatena.ne.jp/kurisu2/20070703
    http://d.hatena.ne.jp/kurisu2/20070724
    http://d.hatena.ne.jp/kurisu2/20070806
 森岡まさ子さんからミーティングで、謡曲の「高砂」を教えてもらったことがあります。「高砂」の冒頭で「高砂や この浦舟に 帆を上げて この浦舟に帆を上げて」の部分です。
 森岡さんの謡曲は手を動かして「高砂」を表現するのです。高砂は手を高く上げて、浦舟は上着の裏地をめくるしぐさをして、帆は頬を指して、ハー、ポンポンは、鼓(つづみ)の音ですが、これも手であらわします。お腹を手で叩くしぐさをするのです。
 森岡まさ子『煎り豆に花が咲いた』1989年10版(朋興社)という本があります。
 フォスコ・マライーニさんから、軽井沢から電報が来て、被爆した夫を連れて行った。軽井沢の万平ホテルに、避暑に来ていたマッカーサーへ、フォスコさんのはからいで会ったときのエピソードもありますね。
 戦後もフォスコ・マライーニさんから支援と交流があって、のちにマライーニさんからヨーロッパ旅行の招待があり、インスブルックの駅で再会されたエピソードなどもあり、感動的な場面です。