午後3時ごろより弱い雨が降り出す。園芸店で落花生の苗を買う。
18日の夜、ラジオで「NHKカルチャーアワー」の「人間を考える〜私の熱中時間〜」で、関川夏央の講演を途中から聴いた。
夏目漱石の『草枕』や『三四郎』に現れている汽車についての描写をめぐって、日本の鉄道がどういう風に敷かれいったかを語っているあたりから耳を傾けた。
日本で最初に鉄道に乗った人は誰ですかね。外国で万延元年、1860年の初夏ですかね。
パナマで乗ったのが日本の初めての汽車体験で、遣米使節たちです。
スピードより、音に驚いた。うるさい、百ほどの雷が一緒に鳴っているようだ。
20世紀文明を象徴するものが鉄道なんですよ。
漱石がロンドンで汽車の中で本を読んでいるのに驚いたんですね。
日本の汽車はどういう風に敷かれたかというと、連隊と連隊を結ぶ。
そのために、汽車はつくられたんですね。
いざという時のために、いかに合理的に、速く大量の人々を、つまりロジスティックスの中心地である宇品に運べるかどうか。一番遠い旭川の連隊から宇品まで、どうやって来れるかどうか。
たとえば、旭川から宇品まで、50何時間で行けるわけです。行けるようになったわけです。
それが、日本の汽車の敷かれ方な訳です。どこの国でもそうですがね・・・。
でも、日本の場合、鉄道に対する信頼感がもうすでに高いものですから、船で運ぶのではなくて、兵隊さんと兵站品(へいたんひん)を運ぶ。こういうことになっている訳です。
『三四郎』にあるんですが、小説で鉄道自殺を初めて書いたのも漱石なんですね。
なぜ、漱石が偉大だったか。現代の小説を書いたからです。それが漱石の偉大さです。
漱石の前に、鉄道について書いたのは子規だったんです。明治32年の7月12日、死ぬ三年前です。家の外からする音を記録したんですね。ただし、音だけですがね。
日本でいつごろ鉄ちゃん(鉄道マニア)が生じたか?
関川さんは、宮脇俊三さんの例を挙げて、「昭和不況の終わりごろから、昭和7、8年ごろから生じたんです。」と、当時の時刻表に魅せられた宮脇少年の話を挟んでつづける。
漱石の小説に書かれた、「全然知らない者どうしが、付き合うとは、どういうことか?」 美意識とは何かということを漱石が語っているあたりが興味深い。
汽車好きを考えることは、日本の社会史を考えることになるわけです。
この講演のタイトルは「汽車旅の魅力」であった。