ミヒャエル・エンデが話したこと

 夜、NHK教育テレビで「世界の児童文学者に聞く ミヒャエル・エンデ」を放送していました。
 「ETV50もう一度見たい教育テレビ〜教養番組アンコール〜」という長いタイトルです。
 エンデへのインタビュアーは若き日の山口昌男さんで、1986年8月25日放送を再放送したものでした。
 ミヒャエル・エンデが生まれ育ったドイツで、学校を落第した話や画家の父がナチスから迫害されて生活が苦しくなった話などが語られる。
 1950年代にエンデが演劇学校へ入ってからの演劇時代のこと、役者として舞台に立ったときに、ちょうどシラーの誕生日だったのですが、観客がみんなよく笑ってくれたという思い出が語られる。
 山口昌男さんが、『サーカス物語』や『モモ』などミヒャエル・エンデの本を一冊づつ採り上げて、つぎのように話されていました。

 「エンデの本に登場する人物が次の時代に応える力をもっているんではないか。」 
 「エンデの本に登場する人物はつねにアウトサイダーだったと思います。」

 一方のエンデさんは、
 エンデ「『サーカス物語』において、特に重要なのは芸術家だと思います。」
 アインシュタインの例をあげて、こんな現在の学校制度から創造的なひとは生まれません。

 以下は、山口さんの話から聞き取った断片。
 挫折する能力にめぐまれているひとの話、挫折というものを大事にすること。
 ネガティブなものの中にポジティブなものを見る。
 忘れる力、忘却するものから、人生におけるネガティブなものとみられるものにポジティブなものを見る。

 1950年代のエンデの演劇時代の思い出が語られた時に、山口昌男さんから「ブレヒトの演劇に対する今のエンデさんの考えをいやでなければ話していただければ・・・。」
 エンデ「(ブレヒトの)『肝っ玉おっ母』の野戦隊長の役をもらいました。」
 今はブレヒト病を克服して・・・。
 ブレヒトは客観的な社会を批判するために演劇を使う。政治的なアンガージュマンをもたない(わたしの)幻想的な作品は逃避的願望とみなされていた。
 新しいドイツの文化的風土を嫌って私はイタリアへ移りました。
 
 この放送があった頃の山口昌男さんの講演をまとめた本に『学校という舞台』(講談社現代新書)があります。
 その冒頭に、このエンデさんとのNHKのテレビでの対談でのことに触れられています。

 《「挫折」から得る》という章です。

 前に(昭和六十一年八月)、世界児童文学者会議のために来日した、ミヒャエル・エンデという西ドイツの作家とNHKのテレビで対談をする機会がありました。
 エンデさんは、『モモ』という、時間泥棒と少女モモの大変ファンタジックな、おもしろい本の作者です。映画にもなった『はてしない物語(ネバー・エンディング・ストーリー)』という本の原作者でもあります。世界児童文学者会議の出席者のなかでは、いちばん人気のある作家でした。
 対談のなかで、どちらからともなく、人間は挫折を知っていることが大事なのではないか、挫折を知らない人間は、強靭(きょうじん)ではない、弱さを必死になって隠すから、挫折を知らないように見えるだけなのではないか、どんどん挫折した方がいいのではないかということがお話に出ました。
 私もついつられて、かつて若いころは、自動車免許の二回を含めると、試験を八回ぐらい落ちているなんていう話をしてしまいました。
 エンデさんも、それは確かにそうだとうなずいていました。エンデさんは、児童文学の前には、芝居に関係して、脚本を書いたり、実際に自分も舞台に立ったりしたそうです。自分の経験からいって、練習のときにどんどん失敗している役者は、じつはいい役者なんだということをいっていました。
 挫折を恐れないということ。いわゆる筋書きどおりに演ずるんじゃなくて、筋書きからちょっと踏み外したときに、いかにして小さく変えながら、また新しく舞台を盛り上げていくか。そういうきっかけをつかむことがよくわかるからだというのです。ですから、どんどんつまずいたり、間違えたり、小さな挫折なら幾らでもした方がいいということでした。
 挫折には、大きな挫折と、回復可能な挫折があると思います。大きな挫折は、死ぬことも巻き込みます。ですから、大きな挫折はなるべくない方がよろしい。若いときの方が、回復力がありますから、大いにつまずいたり、挫折したりした方がいいということはよくいわれるところです。  8〜9ページ


 ところで、11月の新刊で、ミヒャエル・エンデ/田村都志夫聞き手・編訳『ものがたりの余白』が岩波現代文庫に入るようです。副題が「エンデが最期に話したこと」になっています。