大晦日(おおみそか)読書回顧

山茶花

 今週は晴天がつづき、早朝が気温1℃くらいまで下がり、最高気温10℃前後で過ぎる。
 山茶花の花が満開で見頃だ。スズメが群れて集まって来る。
 大晦日(おおみそか)の俳句で、正岡子規の明治二十八年の句に、

   漱石虚子来る 
漱石が来て虚子が来て大三十日

   漱石来るべき約あり 
梅活けて君待つ菴(あん)の大三十日

 2011年の読書を回顧してみる。
 慶応三年生まれの旋毛曲りの一人、正岡子規をめぐる本で、関川夏央著『子規、最後の八年』(講談社)が面白かった。
 海野弘著『おじさん・おばさん論』(幻戯書房)も忘れられない本だ。

「あとがき」に、
 《「この本は、現代において、あまりにおとしめられ、馬鹿にされている〈おじさん・おばさん〉を文化史的に見直したい、という試みである。〈おじさん・おばさん〉の意味が失われていったことが、現代社会の孤独の影をより深めているのではないだろうか。
 さて、あらためて調べてみると、〈おじさん・おばさん〉については、親子の本がおびただしくあるのに比べて、あまりないようである。それだけ重視されていないのである。
 まとまった研究が見つからないので、私はとにかく、おじさん・おばさんの例を拾い集めることにした。この本はそのコレクションの記録なのである。さがしてみると、いろんなおじさん・おばさんが見つかり、楽しいフィールドワークとなった。》 284ページ
 (中略)
 《私はこの本を書きながら、忘れていた私の伯母さんを思い出した。いや、そうではなかったかもしれない。私の伯母さんの思い出が、この本を書かせてくれたのだろう。》  286ページ

 そういえば、山田稔著『リサ伯母さん』(編集工房ノア)で、「リサ伯母さん」という短編の主人公が伯母であるリサ伯母さんを回顧する箇所が印象深かった。
 これは、おじさん・おばさん論のおばさん論ではないかしら。
 シルヴィ・ヴェイユ著『アンドレシモーヌ』(春秋社)は、シルヴィの父アンドレ・ヴェイユ京都賞をもらいに来日し、京都と東京と訪れ天皇陛下にも会うのだが、娘のシルヴィから見た父アンドレの老境、若くして亡くなった思想家としても知られるシモーヌ・ヴェイユ叔母さんの回想が興味深かった。考えてみれば、これも、おじさん・おばさん論のおばさん論ではないかな。
 そしてユダヤ人一家の家系の物語でもある。


 ここ数日、夕方の澄んだ空に木星と月と金星が並んで眺められる。美しい星!
 西に金星、南に月、東に木星と明るく光っている。
 夜は大晦日の年越しそばをいただき、紅白歌合戦を見た。
 今年も暮れる。
 さようなら、2011年!
 迎える新年が良い年でありますように。

おじさん・おばさん論

おじさん・おばさん論

リサ伯母さん

リサ伯母さん

アンドレとシモーヌ―ヴェイユ家の物語

アンドレとシモーヌ―ヴェイユ家の物語