「転々私小説論」を読む2

 多田道太郎の「転々私小説論」(三)「飄逸の井伏鱒二」で、小津安二郎の映画『東京の合唱(コーラス)』(1931年)と井伏鱒二の小説「先生の広告隊」について、《同時代に起こっている現代風俗として映画と小説で描いたわけです。これは現代の奇跡だと思います。》
 と、多田さんは述べる。

 つまり、二人の名匠の作品の「アイデアのもとが石山龍嗣だった」というのです。

  

そのころ(大正十一、二年ごろ=引用者註)私は、失業中の会社員石山龍嗣と知りあいになっていた。石山君は蒲団がないので何枚もの新聞紙で大きな袋をつくり、そのなかにはいって眠っていた。袋から首だけ出して、袋の口を紐でゆわえて眠る仕掛になっていた。石山君の下宿の隣の部屋には掬さんという朝鮮の留学生がいた。掬さんが帰省して、土産に持って来てくれた朝鮮人参を石山君は三円で質に入れ、それでもって葉巻の莨(たばこ)を買って来た。そのように彼は貧乏で、しかも根底から貧乏するように出来ていた。(『雞肋集』昭和十一年、 竹村書房)

 石山龍嗣はよほど井伏鱒二好みの人物らしく、たびたびスタジオを訪問したりしている。
 「場面の効果」(昭和四年発表)で見るとエキストラ役も演じており、出演(?)した映画を浅草まで見にもいっている。時に無声映画の弁士いわく「敗残の失業者は淫慾の目をあげて、あやしげな女に得体の知れない口説き文句をならべるのであります」、後ろ姿だけ出ているエキストラ役は井伏さん、というわけでした。

 昭和四年発表の「場面の効果」で井伏鱒二はエキストラ役を演じていて、出演した映画を浅草まで見に行っている。敗残の失業者役でしょうか。
 山田洋次監督の映画『キネマの天地』(1986年、松竹)という映画があります。松竹キネマ蒲田撮影所を舞台にした作品ですが、女優で主演デビューした娘・小春(有森也実)を父親役の渥美清が浅草の映画館まで、娘の晴れ姿をゆき(倍賞千恵子)と二人で観に出かけるシーンがあるのを思い出します。
 井伏さんは、石山龍嗣に会いにたびたびスタジオを訪問したりもしていた。
 石山は小津安二郎井伏鱒二の共通の友達だった。 
 井伏鱒二小津安二郎の二人が、石山龍嗣という友達を介して、《同時代に起こっている現代風俗として映画と小説で描いたわけです。これは現代の奇跡だと思います。》と多田さんはびっくりしているわけです。

転々私小説論 (講談社文芸文庫)

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