『千駄木の漱石』を読む3

 森まゆみ著『千駄木漱石』で、夏目漱石の『吾輩は猫である』のモデルについて、

 漱石の住んだ界隈には和洋折衷の高級借家のようなものが二十年ほど前までいくつかあった。それらはおそらく漱石がいなくなってから建ったものだろう。私は漱石旧居の前を入ったところに五年ばかり住んだことがある。(中略)
 路地を出て右の突き当たり左手には広壮な屋敷が昔からあって、私はこれが金田家のモデルではないかと考えていた。その家は関東の名家で華厳の滝あたりの大地主であると聞いた。しかし漱石がこの屋敷をモデルにしたにしても、それは小説家の妄想の結果であって、今お住まいの方とは何の関係もない。いっぽう国民作家漱石にして資本家のイメージはかくもステレオタイプで貧弱なものだったのだろうか。  159〜160ページ

 筆者は漱石の生活を、漱石の出した手紙の文面に読み取ってゆく。
 時折、横道に行ったり寄り道しながら書いている。
 『吾輩は猫である』に登場する落雲館のモデル、郁文館についても触れておこう。
 として、柳田國男、松岡映丘、物集高量、杉浦茂とこれまたユニークな卒業生が出ている、という。
 『千駄木漱石』の「鈴木三重吉の手紙の一件」に、明治三十八年、《十月十二日、広島の三重吉宛に手紙を書いた。やむを得ぬ事情があっての休学だったのに、出京を勧め、一時でも考え込ましたとしたら恐縮の至、広島の島でゆっくり遊んでいたらいい。》  191ページ
 明治三十八年十月、『吾輩は猫である』が上梓され、初版を二十日ばかりで売り切った。

千駄木の漱石

千駄木の漱石