「しぐさの日本文化」の姿勢

 新刊で多田道太郎著『しぐさの日本文化』が講談社学術文庫に入った。
 手にとってみた。巻末の多田道太郎加藤典洋の対談が面白い。解説対談である。「べしみ」への着目をめぐる談話なのだが、レヴィナスという人をめぐって興味深い指摘をしていた。
 一部引用すると、

加藤 まったくそうでしょう。いまでた「べしみ」への着目というのが、もう一つ多田さんと話したいことで、ここでははしょりますが、レヴィナスという人はハイデッガーに対してそれこそ「べしみ」だった。いちばん理解もしたけれども、自分がユダヤ人だし、どうしても違う。反逆でも服従でもない微妙な立場、「べしみ」の中からつくり出した思想といえるんじゃないでしょうか。
     『しぐさの日本文化』の姿勢
多田 もともと加藤さんに教えてもらったレヴィナスの「疲労論」(「疲労と瞬間」『実存から実存者へ』所収)、あれはほんとうに感動したね。僕によう似た人がいるなあと思って。あそこで取り上げられているゴンチャロフの『オブローモフ』は実は戦争中からの大愛読書だったですね。
加藤 書かれていますね。
多田 あれが僕の怠け志向の最初。だから、カウント・ツーぐらいのところで、こんなふうに暮らせたらええな、これは素敵な生き方やなと思った記憶があります。それをレヴィナスは『疲労論」の中で実にうまく分析してますね。気分の分析という点では最高の人じゃないでしょうか。