映画「流れる」と小説「流れる」

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 「週刊文春」の連載で小林信彦の「本音を申せば」が「映画をめぐる人々」と題して冒頭、品田雄吉さんの死去をめぐり書いている。 「ぼくにとっては五十年以上の雑談の相手だった」という。

 品田さんと会ったのは、一九五九年ごろだったと思う。(中略)
 二十六、七だったぼくは、こういう人たちとよく喋った。品田さんは二人だけだとよく喋るが、みんなが喋ると、ニヤニヤしながら眺めているタイプだった。佐藤忠男さんは「みんな、自分の好きなことを書けばよい」という方針で、そのころの「映画評論」は外部で〈面白すぎる〉と噂されていたらしい。 
 川本三郎さんの新刊、『成瀬巳喜男 映画の面影』についての言及もある。
 川本三郎さんが、成瀬巳喜男の「流れる」について長く触れているのが面白かったそうだ。

 (前略) 「流れる」は原作より映画の方が良いとぼくは思っている。*1(中略)
 小説の方は作者の〈花柳界の勉強〉のあとが目立ち、そこにつまずくのである。映画の時代は、朝鮮戦争柳橋がいっとき勢いをとり戻した短い時期を描いていて、実に正確である。
 
 激動の2011年の日々がつづられた、小林信彦著『人生、何でもあるものさ』(文春文庫)が発売されている。

*1:成瀬巳喜男監督の映画「流れる」は幸田文の小説「流れる」を原作としている。