気になる映画論

 小林信彦著『気になる日本語』(文藝春秋)所収の「黒澤明は〈なぜ受け入れられた〉か?」というエッセイに興味深い箇所があった。

 「羅生門」の栄光とともに、古巣の東宝に帰って手がけたのが「生きる」(一九五二年)と「七人の侍」(一九五四年)である。
 「生きる」を初めて観たとき、ぼくは成瀬巳喜男監督の「稲妻」も観て、後者に身につまされた。つまり、二本立てで観たのである。
 それにしても。「七人の侍」が「キネマ旬報」で三位になったのには呆れた。一位は「二十四の瞳」、二位は「女の園」と、ともに木下恵介作品で、確かにどちらも秀作なのだが、「七人の侍」を認めない批評家が多いのに驚いた。今度、改めて選考委員名をチェックしてみたが、〈認めない〉という感情が強くにじみ出ている。「羅生門」が賞を得たあとで、多くの批評家、ジャーナリストが掌をかえしたようにホメだしたのを想い出した。
 黒澤明の戦いは、「白痴」(一九五一年)の黙殺と悪罵に対するものも含めて、映画ジャーナリズムとの戦いであったと思い当る。  156〜157ページ

 上記の引用文で挙げられている映画のうち、11月の「高峰秀子特集」で上映された作品に「稲妻」、「女の園」、「二十四の瞳」があった。
 このエッセイで、公開された当時の黒澤明の映画の評判がうかがい知れる。
 「生きる」と「稲妻」が、一九五二年に二本立てで公開されていたんですね。

気になる日本語―本音を申せば

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