「植草甚一日記」を読む

 片岡義男小林信彦の対談本で、「星条旗と青春と」に、一九六四年創刊の「平凡パンチ」が話題になっていて、<ぼくも当時、植草さんに何回も取材したことがあるんです。植草さんの日記に残っていますよ。>という片岡さんの発言があったので、「植草甚一日記」(一九七〇年の日記だけれど)を読んでみた。
 片岡義男という名前ではなく、片岡テディという名前が日記にあった。*1

 

六月五日(金) 晴
 六時に机にすわり、S・Jのイラストをつくろうとするが、中心が発見できない。十一時半までイラストで時間をつぶし、ワーナーの「ウッドストック」を見にいく予定。十一時半に出発。三時間六分。かなりウマく編集されていた。片岡テディが車で神保町まで送ってくれ、田村、四方堂、泰文社(やはり一番おもしろい)で「パヴェーゼの挫折」ほか二十冊とパンチの新しいのを四冊買って七〇〇〇円。「ユッカ」でコーヒーを二杯のんで、バスで帰ったのが八時ごろ。留守中に丸谷さんから電話。十時半ごろ寝てしまった。

 日記では、片岡テディと記されている。
 留守中に丸谷さんから電話、とあるのですが、これは丸谷才一からの電話でしょうか。
 S・Jとは、スイング・ジャーナル誌のことかな。
 日記で、植草甚一はまめに映画の試写会に行ったり、原稿を執筆したり、本屋への散歩に出かけ本と雑誌を買ってコーヒーを飲む日々を書いている。
 解説で鶴見俊輔が昭和はじめのモダン・ボーイの植草さんと植草さんの十年前の大正時代のモダン・ガールの黒田初子さんと鶴見さんとの三人で会った座談会で、一度だけ晩年に近い植草甚一にあったことがあるそうだ。

植草甚一日記 (植草甚一スクラップ・ブック)

植草甚一日記 (植草甚一スクラップ・ブック)

コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイ。

コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイ。

*1:片岡義男著『コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイ。』に、テディ・片岡のペンネームの由来が述べられている。