ミランダ語

 絶版になっている文庫本の関川夏央著『七つの海で泳ぎたい。』を読んだ。スリランカモルディヴ、マニラ、ルソンからミンダナオ、ジャワ、ポルトガルイベリア半島、パリ、ブエノスアイレスからパラグアイリオ・デ・ジャネイロサンパウロ吉林省延辺朝鮮族自治州・延吉と八〇年代にたびたび関川夏央は外国へ出かけた。

 あとがきを読むと、このシリーズは一九八四年秋から一九八八年秋まで、断続的に『週刊宝石』誌上に掲載された。カメラマンは住友一俊。

 「思い出に生きる国」【ポルトガル

 冒頭の文を一部引用する。

 《いうなれば哀愁の港町である。ヨーロッパが力尽きて大西洋に崩れ落ちるところ、リスボンである。

 旧市街のアルファマは丘また丘のつらなりであるリスボンの街区の、東にテジョ河を見下ろす斜面にぴったり貼りついている。十七世紀以来、街のたたずまいは変わらない。真ん中がすりへった石畳の細い坂道を、ファドの嘆き節が這いのぼる。外国人の抒情の街角は現地の貧民の集い棲む路地裏でもある。それにしても今夜はすごい人出だ。煙がやけに目にしみる。》  108ページ

 アルファマに間口二間の簡易食堂の店を持ったマシミノ・フェルナンデスとしっかり者の女房の店の話に筆者は耳を傾ける。わびたアルファマのさらにわびた店の主人を感傷的に書いているのだった。

 ポルトガルの北の果て、「山のかなた」(トラス・オス・モンテス)という名の県の田舎町ムルサにホテルをとった。「山のかなた」県の、さらにかなたへと分け入った川の流れの削りだした谷をのぼり、さらに支流の谷をのぼりつめた。たどり着いた村の中央部に一本の鎖があり、鎖が国境。

 向こうがスペイン、手前がポルトガル

 この村で探索したかったのは地方言語のミランダ語であった。

 しかし、次のように語られている。

  《一家の話から、わたしたちが探索したかった地方言語のミランダ語は、すでに事実上消滅したようだと知った。努力は報われなかった。スペイン語ポルトガル語の混血語というか重層語である。ありていにいえば方言である。鹿児島弁よりも方言個性は弱いかもしれない。日本にはまだ紹介されていないから、「発見者」として自慢して歩こうかともくろんでいたのだったが、しかしこの国境の村、リオ・デ・オノールを訪問した史上初の東洋人の栄誉を獲得しただけでもよしとしようではないか、とわたしたちは慰めあい、シナ人のように明るく寂しい笑いを交わしたのだった。》  114~115ページ