小林信彦の「小説世界のロビンソン」を読む。
第三部 第二十八章 ブローティガンの場合ーー「愛のゆくえ」について
《一九七〇年代前半にカート・ヴォネガットを熟読したぼくは、一九七五年一月に邦訳された「アメリカの鱒釣り」を興味深く読んだ。
その本が手元にないので、どんな風に読んだのか、具体的には述べられないのだが、四十七の断章から成る、これといったストーリーのない作品であるにもかかわらず、実験とか難解といった印象をあたえず、きわめて清々(すがすが)しい読後感であった。アメリカでの発表は、一九六七年。フラワー・チルドレンとビートルズに代表される時代に出版され、作家がキャンパスでのカルチャー・ヒーローになったのは当然といえる。
〈透明なファンタジー〉といったこの種の作品は、がんらい、ぼくの好みではないのだが、それでも面白かった。ぼくが面白がるほどだから、マイナー・ポエット好きの日本の読者にはぴったりで、訳書がみるみる増えた。》 301ページ
リチャード・ブローティガンの作品は、以下のように刊行された。
1975年に、
「アメリカの鱒釣り」(一九六七)
「ホークライン家の怪物」(一九七四)
「愛のゆくえ」(一九七一)
1976年に、
「芝生の復讐」(一九七一)
「ソンブレロ落下すーーある日本小説」(一九七六)
「西瓜糖の日々」(一九七〇)
1978年に、
「鳥の神殿」(一九七五)
「バビロンを夢みて」(一九七七)
1979年に、
「ビッグ・サーの南軍将軍」(一九六四)
1982年に、
「東京モンタナ急行」(一九八〇)
1985年に、
「ハンバーガー殺人事件」(一九八ニ)
筆者による、以下の注記がある。
《漢数字は原書刊行年。出版社名が記してないのは、すべて、晶文社である。なお、詩集の訳もあるそうだ。》302ページ
《不謹慎な言い方をすれば、ブローティガンは、七〇年代後半において、もっとも今様の文学的ブランドであった。
ぼくはすべてを読んだはずだが、小説としては「愛のゆくえ」がもっとも面白く、〈日米同時発売〉が売りだった「ソンブレロ落下すーーある日本小説」で狐(きつね)が落ちた。(とはいえ、「ソンブレロ落下す」は、ぼくの「ちはやふる奥の細道」の構想に火をつけてくれたのだから、感謝しなければならない。》 302~303ページ
「ソンブレロ落下す」は、小林信彦さんにしてみれば、かなりの幻滅であったそうだ。
その辺の事情について、一部引用すると、
《(前略)(ブローティガンは七六年五月に来日していると「ソンブレロ落下す」のあとがきにあるから、ぼくが挨拶(あいさつ)したのは、その時であろうか。とにかく、京王プラザホテルに泊って、パチンコばかりしている、と晶文社の人が話していた。)
これからあとのことは、小説とは関係がない一般論であるが、ぼくから見れば、ブローティガンは日本に近づき過ぎたと思う。おそらく、私的な事情があったと思われるが、しばしば日本にきて、ぼくの知人と古い西部劇を観(み)る集いなどをやっていた。ブローティガンにしてみれば、のっぴきならぬ理由があってのことだろうが、一読者としてみると、もう少し神秘的であって欲しかったのである。》303~304ページ