対談「星条旗と青春と」を読む

 片岡義男小林信彦の「星条旗と青春と」を読んでいる。
 戦前、戦中、戦後のアメリカ文化に対する小林信彦の思い出や体験を、その日常感覚で語っていて、なるほどなあ、と頷く箇所があり興味深く楽しい読書体験だ。
 戦後史・アメリカ論として読まれるべき対談のように思われた。 
  
 表紙のサブタイトルは、対談:ぼくらの個人史

 カバーの見返しの文章がこの対談の趣旨をよく伝えている。
 

 星条旗と青春と(「昨日を越えて、なお・・・」改題)
 対談:ぼくらの個人史

 「アメリカが日本にあたえた影響についてじっくり語り合うとすれば、片岡さん以外の相手は考えようがなかった。(略)四度にわたる対談で痛感したのは、この国の風土のなかにおいては異端であるはずのぼくが、日系二世の子弟である片岡さんと向い合うことによって、およそ<日本的>ならざる感じとり方をつきつけられ、おのれの内部の日本的な部分を否応なしに認めざるをえなくなったことであった」(「はじめに」)
 敗戦とともに日本に飛びこんできた<アメリカ>。民主主義であり文明であり豊かさであった<アメリカ>は、日本で如何(いか)に”消化”されたのか? アメリカン・サブカルチャーとの様々な出会いを軸に、ユニークな二つの視点が日常感覚でとらえた、もう一つの戦後史・アメリカ論。

 
 目次
 はじめに           小林信彦
 一九四〇年代 大いなる幻影
 一九五〇年代 蜜月の終り
 一九六〇年代 根こそぎの十年
 一九七〇年代 昨日を越えて
 おわりに           片岡義男
 戦後史年表
 解説             河村要助

 カバーデザイン/平野甲賀
 イラストレーション/峰岸逹

 「はじめに」を読むと、こういう書物をいっしょにつくる気がありませんか、という計画を小林信彦さんが片岡義男さんにしたのは、一九七九年の暮れ、植草甚一氏が亡くなったお通夜の席であった。

 アメリカが日本にあたえた影響についてじっくり語り合うとすれば、片岡さん以外の相手は考えようがなかった。しかし、片岡さんは喋(しゃべ)ることを好まぬ人のようにぼくには見えていたので、打てば響くように「やりましょうよ」と言われたときには、意外に感じられたほどだった。思うに、片岡さんとぼくは、ほぼ同じ時に、似たような問題について考えていたのであろう。
 ぼくにとってみれば、日常生活のなかで曖昧(あいまい)にしてきた<ぼくのうちなるアメリカ>を洗い直し、検証し直すときがきていた。それはまったくの幻影かも知れないし、そのような声も充分に耳にしていた。思考の独りずもうに飽き飽きしていたぼくにとって、片岡さんのアメリカ文化に関するエッセイは本物に見え、つねに、ある手応えをあたえてくれるものであったから、その著者と対話が可能であれば、<ぼくのうちなるアメリカ>は、ある部分が裏打ちされ、ある部分が崩れ去ることが明らかになるのではないか、と考えた。
 (中略)
 雑誌発表の第一回を読んだ若い読者から、「いままでは無味乾燥にしか思えなかった戦後史が急に肉体を得たように生き生きと感じられてきた」という熱心な手紙がきた。それもまた。ぼくらの当初の意図の一つであったのは、いうまでもない。
 一九八〇年十一月         5〜7ページ