諏訪優の『芥川龍之介の俳句を歩く』

 最高気温31℃。曇り。まだ梅雨明け宣言が出ていない。

 公園の池に睡蓮の葉が広がっている。葉の上に蛙(カエル)を発見。蛙に、まだ尾の一部が見られた。

 七月二十四日といえば、河童忌である。

 「たましひのたとへば秋のほたるかな

 昭和二年の飯田蛇笏の句、「芥川龍之介の長逝を悼みて」の前書きがある。

 先日、諏訪優の『芥川龍之介の俳句を歩く』を読んだ。

 芥川龍之介の俳句をめぐる詩人の諏訪優の文学散歩。

 詩人は昭和二年の九月十二日発行の新潮社の『芥川龍之介集』を、谷中の鶉屋で入手した。座右の宝のようにして読んできた。その入手の顛末が語られている。

 

 《『芥川龍之介集』を手に、古書店で味わういつもの気分になった。「買うか、どうしようか?」だが、思案以前に、わたしのズボンのポケットには五千円も入っていなかった。

 今だってそうだが、当時は特にひどかったのである。

 『芥川龍之介集』の裏表紙の内側にエンピツで(消さないで残してあるが)一のあとにゼロが四つ付いていたのである。

 それを手にしばらく、そして、一度棚に戻して箱を置き、眺め直し、去り難くしていたわたしに、主人のI氏が声を掛けた。

 「いつでもいいですから、お持ちください」

 かくして、『芥川龍之介集』は紙にくるまれた。(中略)

 昭和二年当時の活字と紙、一頁一頁が罫で囲まれている、など、それらが造本と装幀 と一体となって何ものかを読者に運んでくる。芸術とは贅沢なものであることは承知だが、この時ほどそれをつよく感じたことはなかった。

 鶉屋の扉が閉じたままになったのはそれから間もなくである。》  21~22ページ

 

芥川龍之介の俳句を歩く

芥川龍之介の俳句を歩く

 

 

「ユリイカ」から

 編集グループSUREの新刊で、津野海太郎著『本はどのように変わっていくのか』が、本というものをめぐって討議したものでしたが、「ユリイカ」6月臨時増刊号が、「書店の未来 本を愛するすべての人に」という特集号だった。

 「誰のための書店」(柴野京子)から一部引用すると、

 書店の話はむずかしい。(中略)

 読書はおおむね私的な行為なので、そこにかかわる経験は個人の記憶に深く残る。とくに多感な時代には、一冊の本とそれを手にした時空間がひもづけられて、かけがえのないものに思われる。

 いっぽうで、本屋のことなど意識すらしない人ももちろんいる。都市には都市の、地方には地方の書店とのつきあい方があり、立場や思いによってフォーカスポイントは微妙に異なっている。さらに業界関係者や書き手などを加えていくと、書店をめぐる視点はまた複雑になる。何より当の書店自体が、もはやひとつの文脈ではくくれない。

 「ヴァンダーシュランクに書店の未来」(高山宏)は、高山宏さんの《誰とも異なる妙な本とのお付き合い》をめぐる自伝的な話を語っていてとても興味深く面白い。

 一部引用すると、

 人類学者の故山口昌男先生にはずっと古書の探索趣味の無さをはっきり叱られ通しだったが、趣味も、第一必要もないのだから仕方がない。

 

 

 

本はどのように変わっていくのか

 編集グループSUREの本の新刊で、津野海太郎著『本はどのように変わっていくのか』を読みました。津野さんの『最後の読書』という本が面白かったので、この本にも注目していたのです。

 《本が売れなくなった、と言われはじめて、ずいぶん経っています。少なくとも、僕がこの世界に職業的に加わって三〇年余りのあいだは、ずっと、そう言っている。

 たしかに、それは深刻です。でも、同時に、どうやら僕たちは本との付きあいというものをこれからも当分、やめることはなさそうだ。だとしたら、本というものをめぐって、いったいこれから、どういったことが変わっていくのか。それを考えたいと思って、きょうは、本をめぐる大ベテラン、評論家であり編集者でもある津野さんに講義をお願いしました。》(司会の黒川創さん)

 評論家、出版業、出版取次業、書店員、編集者、作家といった参加者八人での討議を本にしたものです。

 津野さんが植草甚一の本を晶文社でつくるとき、『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』というタイトルをめぐる植草甚一とのタイトル決定のエピソードを語っています。

 《誰かに言われてそうするのではなく、自分が関心を持った世界に自発的に突っ込んでいく。そういう行為を彼はいつも「勉強」と呼んでいた。》

 これからの「勉強」へ、をめぐって津野さんは、

 《鶴見さんも植草さんも、そういう勉強のモデルになると思うけれど、もっと若い人でも、たとえばブレイディみかこさんね。》

 と、ブレイディみかこさんに注目している。

 そういえば、『波』7月号の表紙の写真が、なんとブレイディみかこさんであった。

ブレイディみかこ著『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の刊行記念特集として、三浦しをん高橋源一郎の書評が載っている。

 編集グループSURE

http://www.groupsure.net/post_item.php?type=books&page=190512Bookman

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

 

 

雨降りだからミステリーでも勉強しよう (1972年)

雨降りだからミステリーでも勉強しよう (1972年)

 

 

 

映画「無限のガーデン」

EUFILMDAYS、「フィルムデーズ2019」

映画で旅するヨーロッパ

欧州連合EU)加盟国各国の作品を一堂に上映する映画祭で、ブルガリア映画ガリン・ストエフ監督の「無限のガーデン」(2017年、ブルガリア、90分、カラー、ブルガリア語、日本語・英語字幕)を観る。

 キャリアや恋などすべてが思いどおりのように見えるフィリップは、両親の死の悲しみを引きずり続ける繊細な弟ヴィクトルの面倒を見ている。ヴィクトルの働く花屋の同僚エマに強く惹かれるが、ヴィクトルも彼女に恋をしていた。エマの作る「庭」が作品の重要なモチーフになっている。舞台演出家ガリン・ストエフの初監督作。 (「フィルムデーズ2019」パンフレットより)

 冒頭、ミニチュア模型の箱庭的な映像美ではじまる。ルール1、ルール2、ルール3、と言葉による守らなければならないことのナレーション。ルールのナレーションは映画のなかで何度も繰り返される。

 兄のフィリップは市役所で有能な役人としてゴミ処理問題で忙殺されている。市の行政への抗議の焼身自殺が起こった。街はゴミ回収業者のストライキで街中にゴミが放置された。弟のヴィクトルは花屋で働いている。店主がエマで、彼女はミニチュアの庭園を店の裏で製作している。

 ある日、弟に会いにフィリップは花屋へ寄った。ミニチュアの庭園のガラスの薔薇を一本触った時に壊してしまった。触ってはいけない。(ルールのナレーション)

 弟は合唱団へ入る。合唱団の練習に熱心に通うようになって元気を取り戻した。

 市の行政への抗議の焼身自殺事件は、フィリップに昔、両親と弟との四人で車に乗っていて事故になった惨事を思い起こさせた。遠出をした帰り道、自分が忘れ物をしたので取りに戻ってくれと駄々をこねた。その一言で、車をUターンしたのだったが、対向車と激突して両親を亡くしたのだった。

 兄弟二人は、そのトラウマを抱えて生きてきた。

 ミニチュア模型の箱庭的な映像美が印象的だ。

 フィリップの心理的な葛藤が、もろくはかない繊細なミニチュアの庭園に投影されているかのようだ。

参照:『EUフィルムデーズ2019』予告編

https://www.youtube.com/watch?v=EOxjZ0C6V_0

映画「野生のルーマニア」

EUFILMDAYS、「フィルムデーズ2019」

映画で旅するヨーロッパ

欧州連合EU)各国の作品を一堂に上映する映画祭で、トマス・バルトン=ハンフレイス監督のドキュメンタリー映画「野生のルーマニア」 (ルーマニア、英国、90分、カラー、ルーマニア語、日本語字幕)を観る。

都会の喧騒の向こうには素晴らしい野生の世界がある。人の目から離れているこの世界は、豪華さ、優美さ、どう猛性と面白みに満ちている。「大ルーマニア」成立100年を記念して製作された本ドキュメンタリーでは、ルーマニアカルパチア山脈ドナウ川デルタ、トランシルヴァニア地方の壮大な自然の奥地を旅し、その生物多様性を探求する。 (「フィルムデーズ2019」パンフレットより)

 ルーマニア雄大カルパチア山脈の人里離れた奥地には野生の動物が多く生息している。カルパチア山脈の息づく動物たちの生態を冬から雪解けの春、初夏、夏、秋と生息する彼らを追って撮影されたドキュメンタリー映画

 オオヤマネコ、ヒグマ、鹿、オオカミ、鳥といった動物や季節ごとに咲く花、美しい自然美を見せる植物を撮影している。ヒグマが冬眠から覚めて春、夏、秋、そしてまた冬の冬眠へ向かう一年を記録している。

 ドナウ川のデルタに広がる広大な湿地帯は鳥たちの楽園だ。野生化した馬も生息する。空撮されたカルパチア山脈の険しい地形も迫力があって、印象的である。

映画「バルト・キングダム」

EUFILMDAYS、「フィルムデーズ2019」

映画で旅するヨーロッパ

欧州連合EU)各国の作品を一堂に上映する映画祭の一本、アイガルス・グラウバ監督の「バルト・キングダム」(2018年、ラトビア、110分、カラー、英語、日本語字幕)を鑑賞。

13世紀、バルト海沿岸の小国ゼムガレで王位を継承した若者ナメイスが、国民を率いて十字軍と戦う。リアルな戦闘場面が見どころの歴史アクションで、ラトビア国内で大ヒットした。主人公ナメイスは、ラトビアの工芸品として著名な「ナメイス・リング」の起源ともされる。 (「フィルムデーズ2019」パンフレットより)

バルト海沿岸の小国ゼムガレはキリスト教徒の十字軍に侵略されていた。王位継承した若者ナメイスは、その横暴な圧政をする彼らからゼムガレの自由と独立を求めて立ち上がった。

味方の中からも圧倒的な十字軍の武力に対して寝返って離反する者もでるのだった。

しかし、武力蜂起して十字軍の砦を襲ったが、圧倒的な武力に完敗する。計略に落ちて捕まる。捕虜として見せしめのためにローマへ船で護送されるのだったが、ナメイスは船中の監視する兵士の隙を突いて倒すと縦横無尽に暴れまくり全員をすべて倒し、泳いでゼムガレの海岸へ戻った。

ゼムガレの民衆はその帰還を喜んだ。逃亡を知った十字軍側は再度軍船を送り、王位を継承したナメイスらを制圧しようとやって来た。

ナメイスたちは圧倒的な彼らを、自分たちのよく知っている湿地帯、沼のある土地へ誘い込み、地の利を利用して枯れ草の大きな玉を無数に作って、敵の背後から火を点けた枯れ草の火の玉を転がして攻撃した。火の玉に焼かれる敵兵、煙で戦場は視界不能になって右往左往する敵兵。

ナメイスたちは勇敢に敵を攻撃し撃退したのだった。

映画「エッシャー 無限の旅」

EU FILMDAYS、「フィルムデーズ2019」

映画で旅するヨーロッパ

欧州連合EU)各国の作品を一堂に上映する映画祭の一本、ロビン・ルッツ監督の映画「エッシャー 無限の旅」(2018年、オランダ、80分)を鑑賞。

2018年に生誕120周年を迎え、「トロンプ・ルイユ(だまし絵)」で知られる”奇想の版画家”M・C・エッシャーの書簡や日記、講演録に基づき彼の生涯と作品を紹介するドキュメンタリー。インスピレーションを求めてイタリアやスイス、スペインなどを旅するエッシャーを追いかけつつ、彼の2人の息子による証言なども取り入れる。(「フィルムデーズ2019」パンフレットより)

冒頭、一人の男が人の身体に刺青をしている。その絵柄はエッシャーの絵であった。

エッシャーの幼い頃から晩年までを写真、作品、二人の息子らが父親との思い出のエピソードを語る。学校で学んだ後、旅行先のイタリアで後に妻になる女性一家との出会い。結婚してローマに住んだ。ファシズムの台頭を避けるため子どものために、スイスへ移った。スイスの冬の雪になじめず、創作の転機にとスペインへの船旅、スペインのグラナダアルハンブラ宮殿を訪れてモザイク模様に影響を受けた。そして、模索、苦闘を続ける日々。

参照:『EUフィルムデーズ2019』予告編

https://www.youtube.com/watch?v=EOxjZ0C6V_0