多田道太郎の『自分学』と劣等感のすすめ

延喜楽

 串田孫一に『思索の階段』1979年(朝日出版社)がある。副題が「かくれて生きること」。これは「ロバの本」というシリーズものの一冊。この「ロバの本」の中に多田道太郎の『自分学』1979年(朝日出版社)もある。
 この多田道太郎の『自分学』は、多田道太郎の発想する「学問」論でもあり、その方法論も面白いが、読んで目の鱗(うろこ)がとれる。 

 学問とは儒教風に言えば、天下国家のためにあり、西洋風にいえば、人類のためにあって、自分個人のものではない。しかし、学問の発想やその発想の動機のレベルでは深く私的なものがある。そういうものがないと本人にとっておもしろくないだろう。第一、本人におもしろくないものが、他人におもしろいはずがない。そういうことを前提にして、わたしは学問というものを考えている。
 こう考えるのは、わたし自身が劣等とか劣等感に興味があるし、そこに思い入れがあるからで、学問もこうしたところで発想しているからである。 10頁