『ビッグ・サーの南軍将軍』と『さようなら、ギャングたち』

 リチャード・ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』が、やっと文庫化されてよろこんでいたら、今度は河出書房新社から『ビッグ・サーの南軍将軍』が河出文庫で文庫化されるらしい。長く絶版になっていたからね。うーむ。ブローティガンの再評価、ブーム?
 新潮文庫になった『アメリカの鱒釣り』で、訳者の藤本和子が書いている「文庫版へのあとがき」と柴田元幸の『アメリカの鱒釣り』革命、という二つの文を大変興味深く読んだ。
 久しぶりに、リチャード・ブローティガンの『ビッグ・サーの南軍将軍』を取り出して読んでみよう。ブローティガンの作品の中では、この『ビッグ・サーの南軍将軍』は気に入っている作品の一つ。もちろん『アメリカの鱒釣り』も同くらい面白いのだが・・・。
 いま、わたしの手元にあるのは、1979年の新装版初版発行の『ビッグ・サーの南軍将軍』(河出書房新社)で、この中に「六ドル七二セントの窮まるところ」という章で、101頁から102頁にかけてに登場人物たちがやり取りする会話がある。

 「尼寺へ行く、とはじめて決めたのはいつだった?」とわたしはいった。
 「うん、そうね。六歳のころよ」と彼女はいった。
 「ぼくは五歳で、牧師になるときめたんだ」
 「あたしは四歳で尼になると決めたわ」
 「三歳のときに、牧師になると決めたんだ」
 「へええ。二歳で、尼になると決めたのよ」
 「一歳で、牧師になると決めたんだ」
 「生まれたときに、尼になると決めたのよ。生まれおちたその日にね。人生は初めが肝心」と彼女は誇らしげにいった。

 この言葉のキャッチボールを読んでいたからか、後に高橋源一郎のデビュー作『さようなら、ギャングたち』1982年(講談社)を読んだときに、高橋源一郎の作品の「第二部 詩の学校」の Ⅰ「吸血鬼なんかこわくない」で96頁の登場人物たちの会話が、これはブローティガンの影響を受けているなあと思った。