『芭蕉紀行』

 朝日新聞に連載の小沢信男の「俳句が楽しい」が、その10で完となった。「芭蕉の覚悟」という題で芭蕉の魅力を記している。

 芭蕉は、よほど魅力的な指導者であった。おりおりの師の言葉に、弟子たちはハッと目からうろこがおちる思いをしたらしい。『去来抄』『三冊子』などにその様子が生き生きと記されていて、恩恵は300年後のわれらにもおよびます。「不易流行」の一事をみても、俳句作法にとどまらない、社会万般にさえ応用できるでしょう。

 この連載の終わりに、「きのうの我に飽く」という芭蕉の一言を挙げて結びとしていた。
 この芭蕉について、嵐山光三郎が『不良定年』(新講社)の「伊賀上野にて」で、芭蕉が大阪(大坂)で急逝した事情を書いていた。体調不良の芭蕉が大坂へ出かけなければ、という嵐山の愚痴が読んでいて情がこもっているなぁ。

 大坂へ出かけたのは、弟子のケンカを仲裁するためであった。
 俳句塾の生徒とりあい戦など、塾頭どうしが自分で解決すればいいのに、泥仕合となって、大親分の芭蕉に仲裁を依頼した。芭蕉は、いやいやひきうけて、ストレスが原因で胃をこわして、一ヵ月後に急死してしまった。
 故郷の伊賀上野でのんびりしていれば、芭蕉はこんな若さでは死ななかったと思われる。  160〜161頁

 そういえば、嵐山光三郎に『芭蕉紀行』(新潮文庫)がある。オモシロイ。