日米交換船のこと

八重桜

 街路樹の桜の中に、八重桜が咲いていた。花の色はソメイヨシノの白色ではなく淡紅色である。『蕪村句集』に、

 まだきとも散リしとも見ゆれ山桜
 花に暮(くれ)て我家(わがいへ)遠き野道かな

 たまっていた新聞の切り抜きを読む。四月六日の朝日の文化欄で、〈よみがえる「日米交換船」 鶴見俊輔氏ら回顧本出版〉とある。1942年2月のシンガポール陥落の直後に上陸して、その年の暮に内地へ戻った人の話で聞いていた「日米交換船」を巡る本なので興味がある。井伏鱒二シンガポールに滞在していた時期にぴったり重なるように、その人は兵隊で軍務についていた。シンガポールに入港した日本の客船の龍田丸、鎌倉丸に臨検で乗船して、船内で過ごした時の話なども聞かされた。豪華客船。海のホテルでその設備が素晴らしかったとも。
 それはどうでもいいのだが、そういうきっかけもあり、読んでみたい本だ。
 鶴見俊輔加藤典洋黒川創、『日米交換船』(新潮社)。*1
 余談だが、第一次日米交換船の浅間丸(日本郵船)とコンテ・ベルデ号がシンガポールを出港して、ポルトガル領東アフリカ、ロレンソ・マルケス港へ向かう前日の様子が、当時シンガポールにいた井伏鱒二の『昭南日記』に書かれている。まだ、小津安二郎シンガポールへ来る前のことである。