映画『愛おしき隣人』

 スウェーデンロイ・アンダーソン監督の映画『愛おしき隣人』(2007年)を観る。オタール・イオセリアーニ監督の映画『ここに幸あり』を横川シネマで観たときに、予告編で『愛おしき隣人』があった。すぐに、これは面白そうだと思った。六月の上映を楽しみに待っていたのだ。前回は道を一筋外れて通行人の婦人に教えられて映画館へたどり着いたが、今回は道を迷わずに行けた。観客は前回の三分の一で5人だった。うーむ。映画は映画館で!
冒頭に、ゲーテの言葉が映し出される。
 「誰も自分を分かってくれない」と嘆き、別れたいと男に言う女。それをなだめる男。女は欲しいものが手に入らないことを不満に思っている。男と別れてバイクがあれば夢が実現すると言う。
 つぎつぎと、様々な住民が登場する。たとえば、夫から「くそばばー」と言われてがっくり意気消沈して泣く小学校教師。言ったことを後悔している夫。
 バーのバーテンダーが客に「ラストオーダーだよ。また明日があるから。」と言うシーンがある。このシーンは映画の中で、何度も繰り返される。うん。いいなぁ。「また明日がある」・・・。
 集合住宅の部屋でブラスバンドの楽器を大きな音を出して練習する男。エレキギターを弾く男に恋焦がれる若い女
 パーティーのテーブルの上に並べられた200年以上前の食器皿を、テーブルクロスを引っ張って下へ全部落として割ってしまう男。後に裁判で判決が下り、電気椅子で刑に処せられる。
 悲劇なのか喜劇なのか、とぼけた味わいのある映画だ。
 雷雨で雷鳴がとどろく中を雨宿りする人々。雨をじっと見つめる人々。
 パーティーでスピーチをしようとしていた大学教授で、息子から電話がかかって来て、出ると息子からお金をせびられる男。
 二十七年だったか精神科の医師をしている男が、患者たちの病気をしみじみ述懐する場面は皮肉に聞こえた。
 人を食ったような映像のシーンが見られる。シュールな風景も。ロックスターでエレキギターを弾く男と若い女の結婚を祝福するシーンは、家が列車のように動いて行く。歌を人々が儀式のシーンで歌う。祝祭的場面で聞こえてくる。人々の日常のエピソードを淡々と描く。誰もが孤独ではあるが絶望的ではない。登場人物には不思議な滑稽感がある。
 場面場面は固定したカメラから撮られているので、額縁の中の映像のようだ。広角の35ミリのレンズで撮ったような画面である。
 見終わったあと、映画の冒頭のゲーテの言葉が気になる。字幕の読める時間が少なかったので、よく読み取れなかったのだ。ゲーテの詩の一節かな。
 ロイ・アンダーソンの映画は見ていて、オタール・イオセリアーニアキ・カウリスマキをちょっと連想した。
 夢のシーンはイタリアのフェデリコ・フェリーニの「フェリーニのアマルコルド」を思い出すのだった。
 映画館から出ると半月が南の夜空に、高度は50度くらいであった。