小野二郎さんの文2

 朝日新聞の日曜の読書欄の「著者に会いたい」は木田元さんだった。
 木田元さんのエッセイ集『ピアノを弾くニーチェ』(新書館)の新刊についての聞き書きで、そのなかに、小野二郎さんについての話があったので驚いた。

 例えば、いまなお興味が尽きないというハイデガーの著作集。なかでも20世紀思想界に大きな影響を及ぼしたニーチェに関する講義録は「山田風太郎の小説を読むように面白い」と顔をほころばせる。そして「西洋文化の形成の仕方を古代ギリシャの哲学までさかのぼって相対化してみせた」ハイデガーの奥深さを強調する。
  身を乗りだし、トントンと机をたたきながら語る姿は情熱的で、目は青年のよう。そんな木田さんも、英文学者の小野二郎、哲学者の生松敬三ら友人の早い死はこたえたという。だが、「私もここまでくれば、死はむしろ親しむ感じになってきました」。

 

 先日につづいて、植草甚一さんつながりで、小野二郎さんの文をもうひとつ。
『紅茶を受皿で』(晶文社、1981年2月刊)という本が出版されて、翌年の1982年4月に小野二郎さんが亡くなられた。それから一周忌にあたる1983年の4月に『ベーコンエッグの背景』が晶文社の「犀の本」の一冊として刊行された。
 この本に、小野二郎さんの「わたしの書物購入法」という短い文がある。
 「他人(ひと)の話から始めさせていただこう。」と冒頭の一行からはじまる文で、植草甚一さんにふれた箇所。

 劣らず新しものずきであった故植草甚一さんは、それでも最後まで新古を問わず、洋書屋をめぐり歩いておられた。思わぬ掘出しものがあるからとか、ほしい本が安く、あるいはすぐに手に入るからといった実用目的のためというより、店頭で本を買うこと自体が好きで好きでたまらなかったのである。しかし、事情は同じで、買いたい本がだんだんなくなってきたのではしかたがない。最晩年の五年くらいは、毎年ニューヨークにしばらく滞在して、本屋めぐりに熱中し、それこそ万巻の書を買いこまれた。ペーパー・バックに入る前の、パイロット・エディションの新人作品などは、東京でお目にかかることはまずないからである。  173ページ

 この文は、1982年の5月に『続続・書斎の復活』に掲載されたものだ。
 4月に亡くなられたが、最晩年の文が奇しくも植草甚一さんの書物購入法にふれているのだった。

ピアノを弾くニーチェ

ピアノを弾くニーチェ