しら梅の枯木にもどる月夜哉

白梅

 午後11時半すぎに月が南中していた。宵に南中した火星は南西の空に高く眺められた。
 しっかりと観測観望するに火星の南中時の高度が高い。火星の地球への今回の接近は、次回の接近はさらに遠ざかるそうだから少ない機会を逃がさないよう観望したい。
 月は満月で明るい。蕪村の句に、「しら梅の枯木にもどる月夜哉」。
 今朝の朝日新聞の読書欄の書評で、鴻巣友季子の書評を読んだ。
 港千尋著『書物の変 グーグルベルグの時代』(せりか書房)と前田塁著『紙の本が亡びるとき?』(青土社)の二冊を採り上げている。
 冒頭、《ブログや電子本、世界規模で物議をかもすグーグルによる書物の電子データ化・・・・・・文字を巡る環境は今世紀に入って激変し、「グーテンベルグからグーグルへ」などと言い表される。》
 《物質と記憶の関係を考察する港氏は、それでも「希望を捨てずに何でも書いておくことが大切」とする一方、今のデジタル社会では、書物がじきに「『配信』や『検索』といった機能・・・・・・端末にぶらさがる何かへと、縮減していってしまう」と案ずる。紙の本に将来は無いと予見する前田氏はさらにラディカルだ。ウェブ検索から外れた情報は消費価値を失うばかりか、「どんどんデブリ(残骸)化する。無限に書き換えられるウィキペディア的言説の海の中で、もはや「本」は知の物理的な結節点として機能しなくなりつつあると言う。》

 もうひとつ興味深かったのは奥泉光の書評で、ジョルジュ・ペレック著『煙滅』(塩塚秀一郎訳・水声社)だった。
 《これはとんでもない本である。》
書物の変―グーグルベルグの時代紙の本が亡びるとき?煙滅 (フィクションの楽しみ)