「転々私小説論」と原稿用紙の起源

 夜、NHKラジオで「今夜も大入り!渋谷・極楽亭」を聴いた。先週はゲストが由美かおるさんだったが、今週は立川志らく宗匠で、志らくさんのハーモニカのライブ演奏が素晴らしく良かった。
 極楽亭俳句会の季語は「音楽」。
 「音楽や呼吸になりて残りけり」(志らく
 山田稔著『マビヨン通りの店』の「転々多田道太郎」の中で、気になっていた多田道太郎「転々私小説論」の第一回「葛西善蔵の妄想」を読む。
 原稿用紙の起源の話がある。
 

しかし一方で、葛西は非常に筆の遅い人で、三行書いては止まり、五行書いては止まりするから、原稿料では食えなかった。これが一番問題なんですね。これは若い時からそうだった。彼が広津和郎に言ったらしいんですけれども、いったん文章に調子が出てきたら、そこでやめるんだと。これは、一見識だと思います。そもそも四百字詰の原稿用紙の起源をご存知ですか? これは明治時代に活字工の手間賃計算のためにできたらしい。それに逆に文筆家は縛られて、何枚書かな暮せないというので、どんどんどんどん書くようになった。大衆小説勃興のゆえんです。葛西はそれが出来なかった。俗説では、酒ばっかり飲んで遊んでばっかりいるから、それで貧乏したんだというふうに言われて、それが今もある程度通っているわけですけれど、そうではない。彼は自分でブレーキをかけるんです。これは本当に俺の感興の湧くものではない、と数行だけ書いてあとじーっと待ってるんです、次の感興が起こるまで。

 大衆小説勃興のゆえんは活字工の手間賃計算のためにできた原稿用紙からとは・・・。