冬のモンゴル

 ハスチョロー監督の映画『草原の女』でゲル(家)という住居や服装などが印象的だった。
 冬の厳寒の内モンゴルの草原の生活が興味深かった。冬は、草原ではなく一面の雪原である。

 この冬のモンゴルを旅した磯野富士子さんの若き日の日記を読む。

 

これは昭和十九年十一月から二十年三月まで、モンゴルの法慣習研究を志す夫、磯野誠一と共にシリンゴ盟西ウジムチン旗(キ)(当時内モンゴルは五つの盟に分かれ、各盟はさらにいくつかの旗(き)に分かれていた)で過した四ヵ月の日記に、私自身の研究題目であるモンゴルの婦人に関する資料の一部と、時折拾い上げた民間伝承についての簡単な説明を加えたものです。  磯野富士子著『冬のモンゴル』まえがきより。

 
 昭和十九年十一月二十四日 快晴
 磯野さんは、この日、張家口の飛行場から座席十あって八人乗っている双発低翼の旅客機で東アパハナル貝子廟(ベイズミヤオ)へ飛ぶ。貝子廟(今はシリン・ホト)。

 十一月三十日の日記に、
 《誰に頼まれたわけでもないのに、こんな「不急不要」の仕事に四苦八苦している自分たちが情けなく、夫が善後策を研究しに出かけた後、疲れた身を休めながら、結婚後一年半を過した成城町の静かな生活が無性になつかしくなったものだ。でも考えてみればあのおかげで、その後間もなく奇蹟的に飛行機の席がとれ、トラックなら四、五日かかるところを、一時間半で楽々と飛んで来てしまったのだから、あの軍の人には大いに感謝しなければならないわけだ。何にしても私たちのような研究には、どちらを向いても困難だらけの世の中だ。「もうせめて五年くらい早く生まれればよかったのにねえ」と帰り道を急ぎながら嘆息する。》」  30ページ


 
 十一月二十五日 曇・晴 午前十時 零下七度・最低零下十二度

 十二月五日 十時 零下十五度 最低気温零下二十五度
 《もう着いてから十日にもなる。二日の飛行機で残してきた荷物を届けてくれるはずなのに、毎日待っても満州の方から飛行機が来ない。満州から来た便は、張家口へ行って翌日また同じルートで引き返し、貝子廟によってまた満州へ帰るのだ。とうとう今度は欠航とのこと。
 先日十日に張家口を出た皮毛公司の車にお願いした荷物は当然着いているものと思っていたのに、トラックの故障でスニットから帰ってしまったそうだし、荷物運の悪いことまさに徹底している。大蒙公司にお願いしたのはまだ張家口を出発してもいないし、本当にいやになってしまうけれど、まあ人間だけが寒い思いもせずにここまで来たのは何よりと満足しなければなるまい。本当にトラックが立往生でもすれば、この寒さではそれこそ生命にかかわるのだから。
 もう少し早ければ西ウジムチンへ行くトラックがあったのだけれど、ここ当分は西ウジムチンへの便はあてがなさそうなお話だ。》  30〜31ページ

 ここ貝子廟に、磯野富士子さんらは十二月十四日まで出発できなくて滞在します。